KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

老者自立す!  

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ワタシの母は亡くなる前年白寿のお祝いの賞状と記念品を県知事からもらった。でもこのような行事がいつまで続くのだろうか、それほど遠くはない時期に廃止されるだろうか、いや行政は一応「長寿はめでたい」のフリをしていなくてはならないから廃止されないだろう。問題は心込めての有無だろうが、もともとそんな思想は無い。だから余計に家のゴミになるような盃や花瓶のようなものはワタシはいらない。

ワタシはタイの高名な坊さんに占ってもらったときに「アンタは90歳以上まで生きる」と言われた。仮に95歳とすればワタシはあと20年も生きなければならないのだ(!)。勘弁してくれと言いたいが全て成り行きだ。なるようにしかならない。その頃には老者はどのように生活しているのだろうか。長寿は人間の夢であり希望ではあった。しかしながら”長寿社会”を「達成」した今現在、老者は既に「社会」のお荷物になってきている気配が濃厚だ。

『蕨野行』(村田喜代子:文春文庫、1998)は棄老の話である。高齢(小説では60歳)になると全ての老者は家族の住む村落から遠く離れた山奥の地に放逐される。老者たちは食料がなくなると元の名を捨てて村に入り食料の施しを受ける掟があり、雪が深くなり村に降りる体力も無くなると老者には死が待つ―そんな口減らし話である。

蕨野の掟では畑を耕し収穫することや鳥や獣の肉を食することはご法度なのだ。ところがこの度蕨野に入った8人の老者たちはそうはいかないと禁を破り、老者たちの自活生活を始めるのだ。小説はその生活の悲喜こもごもが描かれる。作品は単なる虚構ではなく東北地方に伝わっている歴史実話をモチーフにしたらしい。この作品を恩地日出夫が映画にした。市原悦子の名演技が心に残る。

この作品が興味深いのは、「老い」を健康で元気闊達な人間によって構成される社会の目から老者たちを「どうしようか」と考えたのではなく、「老い」を受容した老者たちが自ら「どのような生活をしていけばいいか」を考えた境地から描いている点だ。

古からの因習や掟や社会規範に対して老者たちは反抗し自らの生を大切にしようとして行動を起こす。老者たちは体力の持ち合わせはないが、反抗に見合うだけの智慧と人間に対する慈愛の心を持ち合わせていた。(この項・つづく)