KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

認知症の人‥今日も50人が行方知れず

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コロナコロナで大騒ぎになっているさ中に認知症の人の行方不明者に関する報道があった。「2019年中に認知症やその疑いで行方不明となり警察に届け出があったのは、前年より552人増の1万7479人だったことが2日、警察庁の集計で分かった。12年の統計開始から毎年、過去最多を更新し7年で1.82倍になった。昨年中に所在確認されなかったのは245人だった。」(200703毎日新聞) 毎日どこかで50人(!) ほどの認知症の人が行方不明になっている。コロナも備えが大変だが認知症の問題も放置しておけない。

「われわれのよわいは70年にすぎません。あるいは健やかであっても80年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。」この一文は聖書です(聖書詩篇第90篇、Ed.23、1963)。

聖書の「詩篇」は紀元前530年頃に誰かによって編集されたという説が一般的。とすると古のこの時代の人たちは意外と長寿であったことがわかる。70歳健やかでも80歳だから。ところが歴史が進むにつれて、戦争、交易による感染症の伝播、産業化に伴う自然環境の汚染、急激な工業化に伴う労働環境の悪化、食糧事情の変化や富栄養化、等々によって、文明は必ずしも人間の寿命を長くしたとは言えないのだろう。

新しい自由主義経済とか称する経済人が強欲と富の寡占と傲慢と差別と格差と不公正な社会を加速させ、欲望を掻き立てられ過酷な時間競争に身を苛まれている今の我ら日本人。世界に冠たる長寿の国もこれからは次第に寿命は短くなっていくのだろう。哀れなる日本人よ!

この聖書「詩篇」が編纂された時代、日本では縄文時代晩期から弥生時代早期に相当する時代で、文字のなかった時代なので日本人はどのように考えていたのかは想像するしかないが、往時の人が人生をどのようにとらえていたのか興味は尽きない。

詩篇」の記すように、古の時代から「人の一生」はなかなか厄介なものだったのだろう。人生はまことに「骨折りと悩み」に満ちている。では「老い」はどうだったのだろう。健やかに80年90年は今でも我々の理想だ。しかも「ボックリ」この世に「オサラバ」できれば言うことはない。ところがどっこい古からそうはいかなかったのではないか。

「紀元前6世紀にギリシアの数学者ピタゴラスは、知能が幼児の水準まで退行する63歳からの期間を「老年期」(セニウム)と定義した。」「紀元前1世紀にはローマ人の医者ケルススが精神疾患を慢性的に抱えた状態を「認知症」(ディメンシア)と名付けた。」(スティーブ・パーカー監修、酒井シズ日本語版監修:医学の歴史大図鑑.初版、河出書房新社、2017)

 あの三平方の定理ピタゴラスが「知能が幼児にまで退行する期間」を老年期と称したとある。なぜ63歳かは判然としないがこれは明らかに「認知症」だ。ケルススは病名dementia(認知症)の名づけ親ということになる。往時「認知症」をどのように診療していたのかには興味があるが、意外と患者を放置して治療もしなかったのではないかとも想像できる。いやひょっとすると今でいう認知症の患者は「彼は神様に近づいた」とか「神様から啓示を受けたからだ」とか言われ、認知症患者から「神託」を受けていたのかもしれない。(そのような文献をどこかで読んだことがあるのだが例によって思い出せない。しかも大半の本を処分してしまったから探す手立てもない。何よりもワタシは怠惰になってきている。)

認知症の患者は”超然”としており”悪徳や狡猾の回路”を持っていない。だから神託だって信頼できるものだったのではないか。戦闘を仕掛けたりホラを吹いたり巨悪に加担したりする政治指導者、何よりも今跋扈する日本の暗愚の首相のように権力掌握と宰相の座にしがみつく不様を人生の最大目的とはしない。節もなく操もなくカタカナ言葉ではぐらかしごまかす厚顔で破廉恥な「豊洲の女知事」のように、姑息な病的野心とは縁遠い場所に存在している。瑣事や些事にこだわってもいない。

「‥「金」や「権力」や「見得」や「論理」や「組織」や「政治」や「言葉」や「闘い」を超えた世界に住んでいるあなたをです。「人間の実存」「人間のもっとも根源的な世界」に一番近いところに「あなた」をみようとしています。」(浜田晋:老いを生きる意味.岩波書店、p.219、1990) 

「あなた」とは、もちろん一人ひとりの認知症の患者さんだ。認知症の人は、人間のもっとも根源的な世界に住み、娑婆の悪徳や狡猾からとっくに離れた場所に実存し・存在している。

行方不明になってしまった認知症のあなたは一体どこに行こうとして歩を進めているのですか?