KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

闇の宿痾(しゅくあ)が続く

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足尾鉱毒事件の経緯は、水俣病事件の経緯と同類である。国・政府・官僚・直接加害者の企業また司法までがタッグを組んで、医学的にも明らかにされた一連の瑕疵を認めず、手前たちの利益を協働して守ろうとする姿勢はしたたかで強靭なものだった。その過程では患者や被害者は放置され、苦難と悲惨の日常を過ごすことになった。こうした権力機構の強靭な組織暴力に対抗軸を作って抵抗し反抗することは生易しいことではないことは、足尾鉱毒事件、水俣病事件に限らない。強靭な権力組織に対する抵抗は誠実に続けられるものの、いつ果てるともなく続くために、人間は諦めてしまおうとする弱さを持つ。運動を起こし発言し続ける人たちの心の中に、諦観、疲労といったことが起こることを責められるものではない。アベ政権下でのモリ/カケ/サクラ/クロカワ問題でこのことを痛烈に認識した人も多いだろう。権力は腐敗を続け腐臭を放ち続けたまま平然と鎮座し続ける。

だが一旦諦め投げ出してしまうならば、私たち人間や社会の正邪の判定を有耶無耶のうちに曇らせてしまう。だから事件の渦中にある患者たちの生活や苦難を「自らのもの」として考え支援する人たちが出てきて、正邪の判定に「否」を突き付けて共に抵抗し戦う人たちが出きた。足尾鉱毒事件の田中正造翁たちしかり、水俣病事件の石牟礼道子さんたちしかりだ。その他にもこのような気概を持った大いなる人たちがかつていたし今もいる。森友学園問題で自死に追い込まれた赤木さんの妻・雅子さんや、アベ友のTBS山口某をレイプ犯罪で告訴した伊藤詩織さんなどがいる。そしてそのような大きな気概をもった人たちは、先述の鎌田慧氏の言うようにまぎれもなく「言論」を尊ぶ人たちでもある。人間の誠の意思から発せられる言論というものは、時によって権力の暴力に対する抵抗の言葉となり、身体を働かせる行動につながる。

しかしながら鎌田氏が「宿痾」という表現をしなければならないほど、権力そのものに付きまとう胡散臭くいつまでも続く病みの連鎖は根深いものであることも事実だ。

ゴリン開催に伴う官邸/省庁×大手広告代理店(デンツウ)×大手派遣企業(パソナ+タケナカヘイゾウ)の利権の総取り構造など、闇のトライアングルすなわち政と官と企業の一致団結の強靭さはどうだ、見事なものだ。事実や真実といったものは完全に蓋をかけられ隠蔽されてしまう。

今日日あの程度の政府閣僚の面々でも政治は動く、政治とはそのようなものだ。逮捕状を握りつぶすことやマスクで国民を救済できるといった知恵しか持ち合わせない首相側近の高級官僚なども全く不要である。彼らが居らずとも行政は動く。

2020年夏コロナ禍の最中アベが政権を再び投げ出した。それを棚ボタと見た暗愚極まりないスガがヘコヘコと拾いに出てきた。経済学者の浜矩子氏はスガを評して「奸佞首相」と呼んだ。「奸佞(かんねい)」とは辞書では「心が曲がっていて悪賢く、人にこびへつらうこと」とある。このような人物に日本の政治を委ねるのは恐ろしい。しかし通信新聞TV企業の世論調査なるもののスガ内閣支持率は史上2番目3番目の高さと出た。已んぬる哉‥。闇の宿痾はまだまだ続くのか。