KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

馬鹿の政治

f:id:KANZO-KUN:20200905195009j:plain

「馬鹿」は使い方によっては差別用語ともなるだろう。だが待てよ。永六輔が法律で尺貫法を用いることを禁止したことを受けて、尺貫法の復権運動を展開したことがある。だって落語で熊さん八つぁんの住む「間口九尺の長屋…」を「間口2.7メートルの…」としたら、「オマエさんは馬鹿だねぇ…」を「オマエさんは理解力が人と比べて劣っているねぇ…」としたら、伝統落語は死ぬだろうと言った。永六輔は尺貫法廃止自体に反対しながら、実は広く日本の言葉の伝統をも守ろうした。そしてその反対運動は一定の成果をあげた。

「馬鹿」は「馬鹿」である。「馬鹿の政治」の一幕。かなり前のことになるが予算委員会で野党議員の質問の際、官僚の一人が”閣僚の覚えよろしく”を狙ってヤジを飛ばした。その官僚が当然のことながら野党議員に突き上げられた。一官僚が国会の委員会で野次を飛ばすなど言語道断無礼で世が世ならその浅薄さに打ち首である。荒み切ったアベ内閣では恥も外聞もなく嘘と空語とが乱れ飛んでいたが、この日はあのメッセンジャースガ官房長官が「あれは助言でした」と答えた。ワタシはこのシーンを思い出すたびに吹き出してしまう。考え抜いたとはいえあまりに見え透いた嘘を平然と口にするこのスガという官房長官は、言葉を変えれば現実が変わる‥と考える最も非知性的な思考をする人間だ。スガはアベ同様上西充子氏の「ご飯論法」すり替え論法の話題に事欠かない人間だ。そのうえ狡くて諂い上手くドブの臭いを発する策士だから一晩二晩寝ないで記者会見の回答をひねり出したのだった、そうだ「助言」の一言で騙そう逃げよう‥。

前は隠すが後ろ姿がハダカなのに気づかぬのはアベ内閣総理大臣だけではなかった、スガもハダカの後ろ姿をモロに晒している。二人並んでブザマで戯画になる光景である。「馬鹿」である。これら二人の素性が如何なるものかを調べてみたらいい、ワタシはずーっと前に調査済だから言う、この輩の心にはひねくれた薄暗い「恨み」が棲みついているから気をつけろ。

「鹿は鹿なり馬は馬なりと知ると雖(いえど)も若し政権の諂(こ)ぶ(へつらう)べきあれば鹿を見て馬と呼ぶにあらずや」(内村鑑三:求安録、内村鑑三全集2、p.202、岩波書店、1980.)

つまり‥‥イヤイヤ説明の必要はなかろうよ。明治の見識・鑑三翁の時代も、鑑三翁の前後の模様を読むと同じような政治状況と政治家がいて、鑑三翁はそれに対して怒りを発している。

しかし政治家の劣化といい思想と心を持たないことといい、明治の時代のそれらは、今日日の酷い状況ほどではなかっただろう。今日までの内閣総理大臣官房長官財務大臣らの無見識無知傲慢は、数多の官僚たちを諂い上手にさせ、虚言家に堕させ、アタマを腐敗させてきた。

ところが政権が8年近くも続くと物事が全て失禁したかのようになってきた。そこで内閣総理大臣以下の無能不様を見抜いた官僚たちは、彼らを手玉に取るようになって行く。海外でも国内でも、深いところに侮蔑と嘲笑を潜ませたキーノート原稿を作成した。「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」「ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか!」2019年のプーチンとの会談後のこのセリフにワタシは3日間ほど思い出し笑いが止まらなかった。このセリフを作った官邸官僚にワタシは「君側の奸」を読んだ。

官僚の陰湿に燃える野望は論功行賞を伴った「君側の奸」を地で行くことになった。「コロナ対策にゃマスクを全国民に配れば愚かな国民は涙を流して喜びますぜ!」居酒屋で思いついたような話題を提供した。すると不幸なことにこれを本気にした首相は「それいいね!」となり、数億枚のマスクを数百億かけて海外に手配して何か月もかけて配布した。ゴミと昆虫の死骸も入った小ぶりの子供用のようなマスクは、案の定市民国民の顰蹙を買って大量のマスクが役所に返送されるというお粗末。

首相を手玉に取って操る官僚の勝利が続く。こうした傷ましい構造は、日本政治史上稀な見るも無残な「馬鹿の政治」の一幕としか評しようがない。そしてアベ首相の辞任(というより政権投げ出し)の後継は、これ又馬鹿が請けることになったらしい。やんぬるかな。