KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

ニッポン国の荒みと滅びの予感

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アベ首相が退陣を表明した直後に通信社TV企業新聞社の世論調査が行われ、俄然内閣支持率が急上昇したとの報道。この支持率の急上昇には、世論調査自体の愚かなカラクリがあるとしても、これはワタシは深刻な現象であると考えている。なぜ深刻なのか‥。明治の言論人にして基督者内村鑑三翁の言葉に聴きたい。

「国民を信ぜざる亦信ずる能はざる退縮的の政府が、自己の衰亡と共に国家の壊頽(かいたい)を助けつゝあるは歎ずべきかな。」との言は、鑑三翁が明治31年6月に『東京独立雑誌』第2号に記した記事である。国民を信じない・信じることのできない腰が引け頽廃した政府が、政権の衰亡と共に国家の壊頽をも助長しているのだ、と指弾している。暗愚なアベ首相を戴いてきた現今の日本の政治政局はこれを地で行っているではないか。

だが鑑三翁は実はもっと痛烈に日本及び日本人を指弾している。鑑三翁は「時勢の観察」として次のように記す(明治29年8月)。「日本人は理屈上私徳の真価を知る、然れども実際上敗徳の政治家を許し、彼をして其位置を保たしめ、或は若し一時の恥辱に陥らしむる事あるも社会は躊躇せずして再び彼を迎へ、私徳の欠乏の故を以て彼の社会上の勢力を奪はず、寛大なるは実に日本人なるかな。…政治家の私業を政治問題外に撤去するは日本国民の一特徴なるが如し。云々」(内村鑑三全集3、時勢の観察、p.228) アベ政権下では大手広告代理店と人材派遣企業のタケナカ某らの”政商”が政権中枢に食い込み特定の座を占めて、国の事業の利得を総取りしていた事実が明るみにされた。これらは明らかな犯罪行為である。しかし本来政治政権を監視する役割を担うはずのマスコミに関しては、アベ政権の官房機密費をふんだんに使った懐柔策に貶められたマスコミ幹部による記事操作により、この犯罪行為は”正当化”されてきた。未だにタケナカ某やら広告代理店幹部は政権幹部の”ご指南役”として蠢いていて恥じ入るところもない。鑑三翁の言う”政治家の私業を政治問題外に撤去”である。

さらに鑑三翁の声を聴こう。鑑三翁は政府の不埒な行為行動を監視することなく、これらを許す日本人をも痛烈に断罪している。「日本人は浅い民である。彼等は喜ぶに浅くある、怒るに浅くある、彼等は唯我(が)を張るに強くあるのみである。忌々(いまいま)しいことは彼等が怒る時の主なる動機であって、彼等は深く静に怒ることが出来ない。」(内村鑑三全集28、p.200)今日日この感を強くするのはワタシばかりではないだろう。

藩閥政治の色濃かった明治の時代に、鑑三翁は日本及び日本人をこのように喝破していた。見抜いていた。そこから日本及び日本人は変わったのだろうか‥。残念ながら今日日ワタシは、アベ首相退陣の直後の”世論調査”に見られるように、哲理なくすぐに「忘れ許す」日本人の性分を現実のものとして見ている。「国の滅(ほろ)び」とは斯様なことを言うのだろうと思う。国は政府の蛮行頽廃杜撰無倫理無道によって、マスコミの堕落頽廃によって、そして何よりも日本人によって”滅び”を迎えるのだ。

アベ首相の後釜には自民党内で談合が続き(恐らく小派閥は現金で取引売却され)、今日日あの無為と無能のアベ内閣を象徴するスガ官房長官が本命と聞く。廃れ果てた政党内の絵図は、アベ首相の刑事訴追を免れるための検察への恫喝継続と利権確保のための後継人選で決着がつき、描き終るのだろうか。

国の荒みと滅びは近い。しかしこれを指をくわえてみているニッポン国民がここにいる。国会デモで抵抗する力も減衰した国民市民がポカンと口を開けている。