KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

明治に田中正造翁あり

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2018年は明治改元から150年の節目の年で当時のアベ首相は憲政記念館で記念式典を開いた。この首相が憲政記念館で明治改元の式典を開いたのには、何か意図があったのだろうか。魚の骨がノドに刺さって不快なように以前から気になって仕方なかった。憲政記念館は「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれた尾崎行雄を記念する「尾崎記念会館」を母体に1972年に開館したものだ。憲法に関する貴重な資料も保管されている。アベ前首相は日本国憲法を全文読んでいても十分に理解できないことは在学した大学の担当教授が”証言”するほどよく知られた事実。なので憲法違反スレスレの言動をなすことも頻繁であったのもうなずける。彼は明治憲法を懐かしみ教育勅語を復活させたいと「本気」で考えている人だから、憲政記念館で式典を開いたのは、現行日本国憲法に砂をかけようとして意図したのかもしれない。

彼はこの年の年頭所感で、何をトチ狂ってか明治を礼賛し、長州支配と大日本帝國憲法復活を喧伝し”明治に学べ”と言った云々と報道にあった。また明治維新150年キャンペーンなるものを陣頭指揮したが、如何せん時代錯誤甚だしいので顰蹙を買ってほとんどキャンペーンは見向きもされなかった。風船は何もしないうちに萎んだ。側近官僚の暗愚と浅薄がオモテに露呈した。

一体明治の誰の/何を学べと語ったのか歴史観に基づいた詳細は不明、それはそうだろう彼が系統的に本を読み明治を学習したことはあり得ないからだ。明治150年だからとの思い付きで官僚と広告代理店に何か考えろと指示したに違いない。彼はゴーストライターに「美しい…」とかの本を書かせることはしても、彼自身は本を読まない人であることはよく知られている。

アベ前首相の明治に学べ発言の後に、鎌田慧氏が明治の政治家田中正造翁について書いた記事を読み直してみた(東京新聞、2018年2月13日コラム)。田中翁は足尾鉱毒被害を政府に訴えようとして、田中翁自身と栃木県日光市足尾地区の農民とが行進「押出し」をしようとして、警察と憲兵による大弾圧を受けた。翁は天皇に直訴することも試みたのだった。このような政府と官憲による奸計と弾圧について、自ら衆議院議員であった田中翁は、足尾鉱毒被害を議会で正面から取り上げるべきと激しく政府を糾弾し続けた。

鎌田氏はこの一連の田中翁の行動について触れて、田中翁は言論を尊ぶ思想家でもあったと記す。そして当時の山県有朋強権内閣と鉱山王・古河市兵衛、及び古河鉱山に天下った鉱山保安局長の「闇のトライアングルは、明治、大正、昭和、平成、百五十年にわたる宿痾」と断じている。