KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

正邪の判定は曇らせるな

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前回の一文は足尾鉱毒事件が進行しつつあった時点で、田中正造翁が不当に収監されたことに関して内村鑑三翁が異議申し立てすべく執筆された。近代化を急ぐ明治政府の尖兵となって古河は足尾銅山を開発した。古河は財を成し政府の覚えよく叙位され放蕩の限り。ところが足尾銅山から垂れ流される鉱毒廃液によって下流の足尾郷には米もできず、鉱毒による惨い病気にも犯され続けていた。鑑三翁はそのような足尾郷の人たちへの共感を示すと同時に、国会議員でありながらも頭多袋を持って農民と一緒になって古河や政府に抵抗する正造翁を無私無欲の義人として称賛しているのだ。それにひきかえ古河某の強欲と傲慢と卑猥さと矮小さ。そして法律なるものが”人間社会の正邪に役立たず”のものであると喝破している。そして鑑三翁は、正造翁に対する募金を募り何度かに分けて正造翁に寄付献金をしている。

正造翁といい鑑三翁といい大きな気概を持った人同士は思想がどこかで共鳴する。それはおのずから政府・官僚・加害企業また司法の闇のトライアングル+αに対する抵抗と反抗の言論となり行動に至るのだ。現今の頽廃が充溢するこの国にあって、新たな鑑三翁、新たな正造翁は出現するのだろうか。

闇のトライアングルは21世紀の今もなお続く。2020年夏には五輪が東京で開催されて、大手広告代理店や大手人材派遣企業が五輪の利権を貪りつくす予定だった。しかし件のコロナのパンデミックで世界は混乱し五輪も延期となった。すると日本ではその収益の欠損を補うために国によってコロナ関連事業が立ち上がり、再び大手広告代理店や人材派遣企業が省庁一体となって蠢き、利権は寡占状況となり、現業の犯罪的杜撰が明るみとなり大きな批判を浴びている。ここでも政権政党と特定の企業経済人が裏取引で蠢き、社会的な正邪も有耶無耶の闇に葬られようとしている。しかしながら斯様な蠢きの中にあって「正邪の判定」だけは曇らせてはならないだろう。

孔子が幼なじみの怠け者の老人に向かって「老而不死」(死にそこない!) と罵ったという。現今の日本政治を牛耳る政権や政党に巣食う斯様の「老而不死」者に「正邪の判定」を期待することにワタシは既に絶望している。また”権力に対する無力と無抵抗が常態化し沈黙の共同体が現前している”(中島岳志氏)にもかかわらず、判断停止状態に慣れ切った身体壮健だけの成人たちにも、このような「正邪の判定」を期待するのも無理だろう。ワタシはワタシの直感を信じ「正邪の判定」をしていく以外にはない。