KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

正邪の判定は曇らせるな

f:id:KANZO-KUN:20201015140017j:plain

前回の一文は足尾鉱毒事件が進行しつつあった時点で、田中正造翁が不当に収監されたことに関して内村鑑三翁が異議申し立てすべく執筆された。近代化を急ぐ明治政府の尖兵となって古河は足尾銅山を開発した。古河は財を成し政府の覚えよく叙位され放蕩の限り。ところが足尾銅山から垂れ流される鉱毒廃液によって下流の足尾郷には米もできず、鉱毒による惨い病気にも犯され続けていた。鑑三翁はそのような足尾郷の人たちへの共感を示すと同時に、国会議員でありながらも頭多袋を持って農民と一緒になって古河や政府に抵抗する正造翁を無私無欲の義人として称賛しているのだ。それにひきかえ古河某の強欲と傲慢と卑猥さと矮小さ。そして法律なるものが”人間社会の正邪に役立たず”のものであると喝破している。そして鑑三翁は、正造翁に対する募金を募り何度かに分けて正造翁に寄付献金をしている。

正造翁といい鑑三翁といい大きな気概を持った人同士は思想がどこかで共鳴する。それはおのずから政府・官僚・加害企業また司法の闇のトライアングル+αに対する抵抗と反抗の言論となり行動に至るのだ。現今の頽廃が充溢するこの国にあって、新たな鑑三翁、新たな正造翁は出現するのだろうか。

闇のトライアングルは21世紀の今もなお続く。2020年夏には五輪が東京で開催されて、大手広告代理店や大手人材派遣企業が五輪の利権を貪りつくす予定だった。しかし件のコロナのパンデミックで世界は混乱し五輪も延期となった。すると日本ではその収益の欠損を補うために国によってコロナ関連事業が立ち上がり、再び大手広告代理店や人材派遣企業が省庁一体となって蠢き、利権は寡占状況となり、現業の犯罪的杜撰が明るみとなり大きな批判を浴びている。ここでも政権政党と特定の企業経済人が裏取引で蠢き、社会的な正邪も有耶無耶の闇に葬られようとしている。しかしながら斯様な蠢きの中にあって「正邪の判定」だけは曇らせてはならないだろう。

孔子が幼なじみの怠け者の老人に向かって「老而不死」(死にそこない!) と罵ったという。現今の日本政治を牛耳る政権や政党に巣食う斯様の「老而不死」者に「正邪の判定」を期待することにワタシは既に絶望している。また”権力に対する無力と無抵抗が常態化し沈黙の共同体が現前している”(中島岳志氏)にもかかわらず、判断停止状態に慣れ切った身体壮健だけの成人たちにも、このような「正邪の判定」を期待するのも無理だろう。ワタシはワタシの直感を信じ「正邪の判定」をしていく以外にはない。

 

鑑三翁と正造翁が共鳴を起こす

f:id:KANZO-KUN:20201009160350j:plain

明治に田中正造翁がいたことを記したが、もう一人の巨星がいる。わが愛する内村鑑三翁である。内村鑑三翁は万延2年生まれで明治大正昭和にかけて活動し昭和5年に70歳で亡くなるまで、生涯キリスト者として日本の思想界のみならずわが国に多大な影響を与えた人だ。今なおその思想は革新的で刺激的だ。今でも内村鑑三を”神の使徒”と呼ぶひとがいるのも頷ける(新保祐司:明治の光内村鑑三藤原書店、2017)。

ワタシは高校生のときに『内村鑑三不敬事件』の著者・小沢三郎先生に社会科の授業で質問を繰り返したことが縁でこの著書をいただいた。この本を読んで以来明治人の気骨を表すような堅固なキリスト者・思想家として敬愛している。

現役引退直後にワタシは長年の念願であった『内村鑑三全集』(全40巻、岩波書店)を読破すべく挑戦を始め、およそ1年数か月をかけて読了した。この間の読書MEMOは膨大な量になった。この全集のどこかで内村鑑三田中正造翁のことに触れていたことを思い出し、ようやく捜しあてたのが次に引用した記事だ。明治35年6月21日の『万朝報』に掲載された記事である。少し長いがその一部を引用する(全集では総ルビだが省略)。文面は田中正造翁への励ましと古河某に対する内奥の怒りが伺える。

田中正造翁の入獄は近来稀に聞く所の惨事である、深く此事に就て思念を運す人にして奇異の感に撃れない者はあるまい。翁とても勿論完全無欠の人でないことは余輩とても能く知って居る、然しながら此罪悪の社会に在て翁ほど無私無慾の人の多くない事も亦余輩の保証する所である、窮民の救済に其半生を消費し、彼等を死滅の瀕より救はんてする外に一つの志望もなければ快楽もない此翁は実に明治現代の一義人と称しても決して過賞の言ではなからふと思ふ。(中略) 田中正造翁に比対して翁に此苦痛を持来すの原因たりし古河市兵衛氏の状態を考へて見たらば如何であらう、若し世に正反対の人物があるとならば田中翁と古河氏である、二者大抵同齢の人にして一つは窮民を救はんとしつゝある、然るに無辜の窮民を救はんとしつゝある田中翁は刑法に問はれて獄舎に投ぜられ、窮民を作りつゝある古河市兵衛氏は朝廷の御覚え浅からず、正五位の位を賜はり、(中略) 七人の妾を蓄へ、十数万人の民を飢餓に迫らせて、明白なる倫理の道を犯しつつあるも法律に明文なければ氏は正五位の位階を以て天下に闊歩す、余輩此事を想ふて現代の法律なるものゝ多くの場合に於ては決して人物の正邪を判別するに足るものでない事を思はざるを得ない。 (以下略) 」(内村鑑三田中正造翁の入獄.内村鑑三全集10、p.213-15、岩波書店、1981)    (つづく)

闇の宿痾(しゅくあ)が続く

f:id:KANZO-KUN:20201003130058j:plain

足尾鉱毒事件の経緯は、水俣病事件の経緯と同類である。国・政府・官僚・直接加害者の企業また司法までがタッグを組んで、医学的にも明らかにされた一連の瑕疵を認めず、手前たちの利益を協働して守ろうとする姿勢はしたたかで強靭なものだった。その過程では患者や被害者は放置され、苦難と悲惨の日常を過ごすことになった。こうした権力機構の強靭な組織暴力に対抗軸を作って抵抗し反抗することは生易しいことではないことは、足尾鉱毒事件、水俣病事件に限らない。強靭な権力組織に対する抵抗は誠実に続けられるものの、いつ果てるともなく続くために、人間は諦めてしまおうとする弱さを持つ。運動を起こし発言し続ける人たちの心の中に、諦観、疲労といったことが起こることを責められるものではない。アベ政権下でのモリ/カケ/サクラ/クロカワ問題でこのことを痛烈に認識した人も多いだろう。権力は腐敗を続け腐臭を放ち続けたまま平然と鎮座し続ける。

だが一旦諦め投げ出してしまうならば、私たち人間や社会の正邪の判定を有耶無耶のうちに曇らせてしまう。だから事件の渦中にある患者たちの生活や苦難を「自らのもの」として考え支援する人たちが出てきて、正邪の判定に「否」を突き付けて共に抵抗し戦う人たちが出きた。足尾鉱毒事件の田中正造翁たちしかり、水俣病事件の石牟礼道子さんたちしかりだ。その他にもこのような気概を持った大いなる人たちがかつていたし今もいる。森友学園問題で自死に追い込まれた赤木さんの妻・雅子さんや、アベ友のTBS山口某をレイプ犯罪で告訴した伊藤詩織さんなどがいる。そしてそのような大きな気概をもった人たちは、先述の鎌田慧氏の言うようにまぎれもなく「言論」を尊ぶ人たちでもある。人間の誠の意思から発せられる言論というものは、時によって権力の暴力に対する抵抗の言葉となり、身体を働かせる行動につながる。

しかしながら鎌田氏が「宿痾」という表現をしなければならないほど、権力そのものに付きまとう胡散臭くいつまでも続く病みの連鎖は根深いものであることも事実だ。

ゴリン開催に伴う官邸/省庁×大手広告代理店(デンツウ)×大手派遣企業(パソナ+タケナカヘイゾウ)の利権の総取り構造など、闇のトライアングルすなわち政と官と企業の一致団結の強靭さはどうだ、見事なものだ。事実や真実といったものは完全に蓋をかけられ隠蔽されてしまう。

今日日あの程度の政府閣僚の面々でも政治は動く、政治とはそのようなものだ。逮捕状を握りつぶすことやマスクで国民を救済できるといった知恵しか持ち合わせない首相側近の高級官僚なども全く不要である。彼らが居らずとも行政は動く。

2020年夏コロナ禍の最中アベが政権を再び投げ出した。それを棚ボタと見た暗愚極まりないスガがヘコヘコと拾いに出てきた。経済学者の浜矩子氏はスガを評して「奸佞首相」と呼んだ。「奸佞(かんねい)」とは辞書では「心が曲がっていて悪賢く、人にこびへつらうこと」とある。このような人物に日本の政治を委ねるのは恐ろしい。しかし通信新聞TV企業の世論調査なるもののスガ内閣支持率は史上2番目3番目の高さと出た。已んぬる哉‥。闇の宿痾はまだまだ続くのか。

明治に田中正造翁あり

f:id:KANZO-KUN:20201001195150j:plain

2018年は明治改元から150年の節目の年で当時のアベ首相は憲政記念館で記念式典を開いた。この首相が憲政記念館で明治改元の式典を開いたのには、何か意図があったのだろうか。魚の骨がノドに刺さって不快なように以前から気になって仕方なかった。憲政記念館は「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれた尾崎行雄を記念する「尾崎記念会館」を母体に1972年に開館したものだ。憲法に関する貴重な資料も保管されている。アベ前首相は日本国憲法を全文読んでいても十分に理解できないことは在学した大学の担当教授が”証言”するほどよく知られた事実。なので憲法違反スレスレの言動をなすことも頻繁であったのもうなずける。彼は明治憲法を懐かしみ教育勅語を復活させたいと「本気」で考えている人だから、憲政記念館で式典を開いたのは、現行日本国憲法に砂をかけようとして意図したのかもしれない。

彼はこの年の年頭所感で、何をトチ狂ってか明治を礼賛し、長州支配と大日本帝國憲法復活を喧伝し”明治に学べ”と言った云々と報道にあった。また明治維新150年キャンペーンなるものを陣頭指揮したが、如何せん時代錯誤甚だしいので顰蹙を買ってほとんどキャンペーンは見向きもされなかった。風船は何もしないうちに萎んだ。側近官僚の暗愚と浅薄がオモテに露呈した。

一体明治の誰の/何を学べと語ったのか歴史観に基づいた詳細は不明、それはそうだろう彼が系統的に本を読み明治を学習したことはあり得ないからだ。明治150年だからとの思い付きで官僚と広告代理店に何か考えろと指示したに違いない。彼はゴーストライターに「美しい…」とかの本を書かせることはしても、彼自身は本を読まない人であることはよく知られている。

アベ前首相の明治に学べ発言の後に、鎌田慧氏が明治の政治家田中正造翁について書いた記事を読み直してみた(東京新聞、2018年2月13日コラム)。田中翁は足尾鉱毒被害を政府に訴えようとして、田中翁自身と栃木県日光市足尾地区の農民とが行進「押出し」をしようとして、警察と憲兵による大弾圧を受けた。翁は天皇に直訴することも試みたのだった。このような政府と官憲による奸計と弾圧について、自ら衆議院議員であった田中翁は、足尾鉱毒被害を議会で正面から取り上げるべきと激しく政府を糾弾し続けた。

鎌田氏はこの一連の田中翁の行動について触れて、田中翁は言論を尊ぶ思想家でもあったと記す。そして当時の山県有朋強権内閣と鉱山王・古河市兵衛、及び古河鉱山に天下った鉱山保安局長の「闇のトライアングルは、明治、大正、昭和、平成、百五十年にわたる宿痾」と断じている。

司法世界の異様/奇怪

f:id:KANZO-KUN:20200922171119j:plain

2020年9月21日の東京新聞では、大阪地検特捜部の検事による証拠改ざん発覚から10年が経過したことから、冤罪に巻き込まれた元厚生労働次官の村木敦子さんの取材記事を取り上げている。新聞のタイトルは村木さんの発言「検察は権力を抑制的に」として、その後も続いている冤罪を作りかねない検察権力の濫用に警告を発している。郵便不正事件にからんで村木さんは一連の不正に関与したとして逮捕されたが一貫して無罪を主張、その後共犯とされた部下らが自分たちの供述調書は検事のでっち上げだと証言したことから裁判で無罪になった。ところが一連の流れは検察の作ったストーリーに沿うように証拠を改ざんしたことがその後判明して、担当検事が逮捕されたのである。つまり犯罪を断罪する側の検事が犯罪者となり逮捕されるという手が付けられない事実。

アベ首相の友人として親しかった元TBS山口某は、伊藤詩織さんに対するレイプ犯として逮捕状が出されていたが、海外に出国する直前に逮捕状が握りつぶされた。事件はその後裁判で伊藤さんの勝訴となる経過をたどった。だが当初の逮捕状の握りつぶしが、官邸のアベ・スガから黒川東京高検検事長を経由して所轄警察署長へと命令が流れて実行されたのが事実だとされている。

またアベ政権の重要閣僚だった甘利衆院議員のUR疑惑、経産相だった小渕衆院議員の政治資金疑惑などが、スガー黒川のホットラインでスキャンダルを押さえ込んだので8年近くも政権が続いたとさえ言われている。だがこの黒川検事長もタレコミで賭けマージャンが発覚し辞任と言うゴミのお粗末。

政権幹部の指示によって検察のトップが罪を逸失するという司法検察の頽廃と堕落という”二権分立”と果てた日本の民主主義の虚。

ワタシには友人に弁護士など法曹関係者が何人かいる。数年前ある弁護士(都道府県弁護士会役職を歴任)と現今の法曹世界について時間をかけて議論を戦わしたことがある。その弁護士が次のように話したことが忘れられない。「多くの検察官の思念は人間《性悪説》以外の何物でもない。人間を《悪》として見れば、人間というものがほぼ理解できるというのが彼らの言い分だ」、また「裁判官の多くは世間の些事に驚くほど無知で無関心である」、そして彼ら裁判官の判断基準は「万巻の判例集と厖大極まりない六法全書の中にしかない。当事者の個々の人間の生命の息吹きや思念、微細の感情というものは限りなく排除されるのが《善》とされる世界である」、「法廷という場は、そこで正義か不正義かとか正か邪かを議論する場ではない、原告/被告にとっての相反する「利得」をいずれに得させるかを決定しようとする場である、だから検察であろうが弁護士であろうが「勝利」にしか関心がない、だから「弁論」の立つ検察や弁護士が有利、どれほどの「詭弁」を弄し恫喝できるかが裁判勝利の分岐点となる」云々。

「正義」「不正義」に基づいた法廷弁論が展開されるわけではないという彼の言質が強く印象に残る。そして倫理感覚が脱落していながら、声だけは大きく世論に迎合し詭弁を弄する何人かの弁護士出身のTVタレントや国会議員、知事の顔を思い起こした。

ワタシはこれら検察官、裁判官諸氏の現実(彼らの仕事のプロセスや中身の詳細、彼らの哲理や生きざま)を何冊かの書籍を読んで追確認した。そして恐るべきことに友人の弁護士の言が正鵠を得ていることを確認した。しかもこれらの書籍では、彼らのパーソナリティとしては「あまりに多くの犯罪に関わる判定を迫られているために機械的な判定マシンになり果てている」、「矛盾や二律背反、不条理、葛藤に懊悩することがなく、物事を哲理的に思考することがない」、「人生に飽き飽きして虚無的で倦んでいる」ことをワタシは確信した。黒の法衣をまとう裁判官も法衣を剥げば「裸の王様」である、あるいは哲理的に見れば普通の人たちが有している道徳観念や倫理観が欠如した「ただの人以下」の者が多いのだ。いわば”異様の社会”である。六法全書を食うほどにして司法試験に合格してもその後は只の人以下か世間常識を欠く異様の者‥。

毎度の警察の自白強制、検事の犯罪や裁判所の政権に諂った判決、ポピュリズムへの偏りの判決などに強い違和感を覚えることが多い。最近は頻繁である。ワタシは歴史的な書物としての「聖書」を読む。「聖書」は律法(家)について様々な箇所で記しているが、次のような言説は何千年前も今も変わらない「真実」であると考えている。

「彼ら(律法学者など)は…広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。」「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。‥外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。」「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ、あなたがたは、わざわいである。‥律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実を見のがしている。」(いずれも「聖書」マタイによる福音書23章)

裁判所の腐敗である、裁判官の堕落である、司法権の蹂躙である、国法の濫用である、と内村鑑三翁も書いている。

小事善大事悪;キモの小さなニッポン人

f:id:KANZO-KUN:20200915165330j:plain

私が敬愛する内村鑑三翁は、明治・大正・昭和と生きた言論人にして基督者として知られている。翁の社会に対する発言の的確さと鋭さには驚嘆すべきものがある。これらの発言は、藩閥政治や政界・政治家、教育界・教育者、新聞界・新聞人、出版界、宗教界・宗教家などに止まらず、海外文学、日本文学、国際政治情況等々にわたっている。現代に比べれば情報の質量は極小であったのだろうが、沈思黙考すること並大抵の努力ではなかっただろうと推測される。何しろ翁の論文・発言録・講演録・寄稿・手紙・日記を網羅・収録した内村鑑三全集(岩波書店版)は全40巻ある。

鑑三翁は日本の基督教の指導者というよりも、日本を先導する指導者として言論界でも注視されていた人である。当時としてはその情報収集能力、外国語能力、特に英語の能力が優れていた。それは1885年から3年間にわたるアメリカ留学に負うところが多いだろうが、帰国後の精進も並大抵ではなかったことがわかる。因みに鑑三翁の有名な著作『余は如何にして基督信徒となりし乎』は、鑑三翁35歳の1895年に英語版「How I Became a Christian」として刊行されたものであり、その後和文、海外ではドイツ語、フランス語、デンマーク語、スウェーデン語等に翻訳された。しかも内外の知人も多く、それらの人たちや刊行物から仕入れた情報は多岐にわたり厖大なものだったのだろう。それらが的確に鑑三翁の中で咀嚼されたものが「言論」として発出されたのだった。しかもその言論の多岐にわたること、時には真剣なで斬りの如く激しく鋭い舌鋒もあるので驚く。胆の据わったスケールの大きな人だったのだろう。

ところで今日ワタシたちを取り巻く状況はどうだろう。フェイスブックツィッターなどワタシもアカウントをもって仕事をしていたが、仕事を離れて後自ら使うことは皆無となった。時折覗くことはあるもののワタシはこの半年間一度も投稿していない。投稿すればひたすら些細な「小事、気分を害する瑣事」が押し寄せるからだ。そしてワタシは思うのだ‥情報も多く社会生活もどんどん便利になっているのだが、人間はそれと反比例してどんどん馬鹿になり浅薄になり小さくなっているのではないか‥と。

そして些細な事柄と大事な事柄との境界が薄らいできて、大だろうが小だろうが、手前が良いと感じたら良いこと・悪いと感じたら悪いことといった程度の独善が、生活の規準となってきている。だから自分の感じ考えたことを立ち止まって考えてみる思慮深さや、他人の考え方や思想や生活感に対する寛大さや寛容な精神が薄れて、社会的に弱い立場にある人々や障がいを持った人たちや子供たちに対する哀憐の感情も酷薄なものとなっている。糞のような情報ばかりか嘘(フェイク)情報も堂々と数多飛び交う。小心翼々の小者ばかりである。小心で馬鹿になっているのはこの国のアベスガアソウなどの政治家筆頭に官僚、実業家なども同類なのではないか、と思う。些末なること蚤の如し。

8年近く続いたアベ政権は、アベ政権幹部以下官僚までもがパンツのひもが緩むように弛緩し、「政治政策」なるものは全く打ち出せず「世論調査」でも内閣支持率が極端に低迷していたのだが、アベがまたまた詐病を理由に政権を投げ出すことになって辞任の記者会見を行った途端に、通信新聞TV企業の「世論調査」は、過去の安倍政権の実績を高く評価し内閣支持率も2倍近くとなるという現象が起こった。一体何が起こったのかとワタシは驚いた。これに関して前川喜平氏は「日本国民は蒙昧の民か」と題してこの現象を批判する(東京新聞200913)。前川氏は魯迅の「阿Q正伝」を引き合いに出して、百年前の中国を舞台に無知蒙昧の民阿Qの愚かな生涯に似て、日本国民は阿Qに成り下がったのではないかと痛罵している。そして愚かな国民は愚かな政府しか持てない、これを変えていくにはメディアと教育関係者が大きな役割を果たさなければならない、メディア関係者と教育関係者が権威主義や事大主義に毒され、同調圧力に加担し付和雷同に走るなら、日本国民はますます蒙昧の淵に沈むだろう、と諫めている。

もっともワタシは通信新聞TV企業の「世論調査」の設問が浅慮で配慮に欠けているから、その回答が正鵠に「民意」「世論」を表すには無理があると考えている。メディアによってはあからさまに政権擁護の姿勢を恥じることなく、政権機関紙のごとく鮮明にしている企業がある。何はとまれワタシは内村鑑三翁の次の言に同意する。「輿論は神の声なりと意(おも)ふは非なり、神の声は常に輿論に反対す‥悪人が多数を占むる社会の輿論なるものに従ふべからず。」(内村鑑三全集13、p.122) 世論などというものは、神の声とは逆だと、悪人の声の大きな社会ではなお更ではないか‥至言である。

鑑三翁から見るとニッポン人はスケールが小さな人間ばかりだ。「小事に善にして大事に悪なるは今の日本人なり、酒掃応待(さいそうおうたい)、起止進退とか称して、帽子の取り様、敬礼の仕様、御辞儀の仕様等に厳格にして、虚言を吐くを憚からず、慾を以て耻となさず、人道の大綱を紊(みだ)るも、礼儀作法さへ能く尽せば、忠良の民として迎へらる、馬鹿々々しき限りにこそ。」(内村鑑三全集6、p.135) つまり「メシの食い方、寝起きの習慣、帽子の取り方、敬礼の仕方、お辞儀の仕方等については厳格なのに、虚言を吐くことを恥じないし、欲望を表しても恥としないし、人間社会の道徳が大いに乱れても礼儀作法といった些末さえよければ”いい子だいい人だ”と褒められている様は馬鹿馬鹿しくて見ていられない」と。鑑三翁の明治の言葉なるも、どうしてどうして、日本人の気概のスケールの小ささ、些末だけに目をやって大局を見ない・見誤る類の気性、哀憫の情とて独善的、昨今の役人官僚の諂(へつらい)根性‥明治時代のハナシではない、今日日のニッポン人のハナシだろう。

鑑三翁ばかりではない。昭和のコラムニスト故山本夏彦に「四畳半の正義」の一文あり、冷雪寒風れ吹きすさぶ中、炬燵にぬくぬくと入って天下国家正義不正義人道非人道論ずる小善の詰まらなさを記していた。だがハテどの本の中であったか辿れない。最近ワタシはこのような怠惰及び記憶欠落が甚だしい。

空無の愚王を生む社会 

f:id:KANZO-KUN:20200912172457j:plain

M.ピカートは1888年スイス生まれの医師にして20世紀を代表する思想家。日本でも『沈黙の世界』『神よりの逃走』、そしてここで取り上げた『われわれ自身のなかのヒトラー』(いずれもみすず書房刊)などの翻訳書がある。ワタシはピカートの鋭い分析力と公正な判断力に感銘を受け学生時代に熟読したものだ。その中の一文である。

「現代のデモクラシーのなかでは、権力者の座にすわり独裁制を確立することのできる人間は笊(ざる)ですくうほどある、‥しかし、そのようなことがおよそ可能なのは、ただ、現代社会では誰もが無目的にどんなところへでもつるつると滑ってゆくからなのだ。かくて誰かがたまたま国家権力へと滑り寄る。‥当人自身は別に権力手段の獲得を目指して努力する必要もないし、闘争をする必要もない。権力手段は手当りばったりに抱きつかれるだけのことである。‥したがって、ヒトラーは征服をあえてする必要はすこしもなかった。‥すでに権力を手中におさめた今になって、彼は権力者につきもののあらゆる身振りを真似てわめきちらし、彼が独裁者となり得たのはおのが行為によってであって、決して錯乱状態のもたらした偶然によってではないことを証明しようとして、暴虐や殺人に憂身(うきみ)をやつすのである。‥ただ現代の全面的非連続性の世界においてのみ、ヒトラーのごとき無価値な人物が指導者(フューラー)となり得たのである。」(M.ピカート、佐野利勝訳:われわれ自身のなかのヒトラー.p.11-13、みすず書房、1965)

ピカートの洞察に従ってニッポンの現実について記す。今日日「ザルですくわれた」Aは、無目的にすべる数多の人間が集合して「たまたま」総理総裁に祭り上げたにすぎない。(別の言い方をすればニッポン人の個性でもある「なんとなく」である。)  Aを支えてきた自民党の派閥長老たちの右往左往も「たまたま」である。そしてザルですくわれたAは国家権力に「たまたま」滑り寄り、権力手段に抱きつかれて無自覚に総理総裁となったということだ。詮ずるところ現代の”全面的非連続性の世界”では「深いもっともらしい理由」がない。そしてAは8年近くも長期に玉座に居座り続けた結果、A及び閣僚総員以下政務官官僚まで全てがパンツのゴム紐同様に弛緩した。Aは国会も数か月開かないという憲法違反を犯し、モリカケサクラクロカワ等不祥事の解明を求める市民国民の矢玉を浴び続け、ストレスに打ちのめされて政権を「詐病」理由に放り投げた。実のところAは「疲れて悔い改めるいとまもなく、しえたげに、しえたげを積み重ね、偽りに偽りを積み重ね」(聖書エレミヤ書9) た結果の辞任である。

そうしたら何とスガ官房長官がこの後を受け継ぐと言ってあのスダレ顔でノコノコと出てきたので、その恥知らずの厚顔に驚愕。官房機密費という使途不明金をふんだんに使い、密偵を放って得た情報をネタに新聞TV通信社マスコミ幹部や記者、政敵、タレントを恫喝し続けたら、周囲に文句を言う輩がいなくなった‥そこで何と官房長官がタナボタで「たまたま」玉座を狙いに来た、という背筋も震えるような奸佞(かんねい)者の出現だ。

ピカート氏の一文を書き換えて「ただ現代の全面的非連続性の世界においてのみ、アベスガアソウのごとき無価値な人物が指導者(フューラー)となり得たのである。」と言い切るのは、ピカート先生にあまりに失礼。なぜならば「指導者(フューラー)」と器量極小のAらを称するのは大いに憚られるからだ。

「このような連続性喪失の世界において、一個の空無、もしくは一個の低劣なもの、もしくは一個の凡庸なるものが絶対者の地位におしあげられ」(同書、p.13)てきたことは事実である。空無で低劣で凡庸な者が権力の座に就くことは古くからあったことだ。ワタシも愛読する旧約聖書「列王紀」「歴代志」などにはおびただしいほどの愚王が出場する。

ただし「連続性喪失」という現代を象徴する現実が、SNSや生活の中でのIT化やコロナ禍の生活変化によって「加速」され「増幅」されている。その結果より低劣で凡庸な「愚王」が繰り返し出現してくるのではないかとワタシは危惧する。今の日本がその通りになっている。そして今後、市民国民の自由と権利を守るための政治装置が微塵に破壊され、ヒトラーのごとき無価値な人物が指導者として出現し、狂気の圧政と暴虐が出現するのではないだろうか。

今私は香港にもその現実を見ている。暗澹たる気持ちになる。