KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

「愛国」を叫ぶ者たちよ!

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戦時中のいわゆる徴用工問題及び慰安婦問題に正面から取り組むことを回避して韓国政府に責任を押し付け、その後韓国をいわゆるホワイト国から除外したことに端を発し、韓国と日本は戦後初めてとも言える最悪の外交関係に陥っている。政府間の批難合戦が繰り返されている。その結果観光客の激減や貿易高の激減が国家間に起きている。アベ政権に諂い媚びる外交評論家がどう解説しようが、ワタシはこの事態はアベ政権の「失政」と捉える。ここまで傷口が広がるとは内閣官邸通産は予測していなかったと言われている。プロの外務省情報に頼らず通産情報に頼った「失政」だろう。

こうした状況下で、奇妙なことに日本の多くのTV新聞週刊誌等はこぞって反韓国キャンペーン一色となり、ここで噴出してきているのが「嫌韓」とも言える発言の大合唱だ。まるで戦前戦中の”愛国讃歌”を聞いているような錯覚に陥る。嫌韓を唱えない者は非国民だと言わんばかりだ。TVでは番組開始前に出演者の前で「嫌韓」発言に反対しないようにディレクターから依頼があるのだとも聞いた。やんぬるかな、である。

2019年参院選ではアベ首相など主要閣僚が弁士で候補者の応援に行くと、演説会場には貸切バスで聴衆が駆け付け旭日旗が掲げられた。その一方で、警察庁からは選挙中の政権批判等の発言者の発言停止・拘束指示が発信され、演説会場ではアベや政権批判の声をあげた者が警察に拘束され発言を停止させられた。警察は戦前戦中の特高警察の如き横暴が目立つ。市民への威嚇である。

また2020年の東京五輪では旭日旗の持込が官邸で了承され外務省が広報するなど珍妙な現象が見られる。一体アベスガ政権の裏側でいかなる密談と取引が行われているかが透けて見えるようだ。

こうした情況の中でアベ内閣官邸及び政権を支持する者たちから湧き上がっているのは、あの日本「愛国」への賛美の歌声である。

 

「愛国」とは何か。ワタシの敬愛する内村鑑三翁の言を引く。

「愛国とは自身金を儲けて国益なりと世に風聴することなり。」(内村鑑三全集9、日本現時の道徳、p.40、岩波書店、1981) 

古き時代の言というなかれ、明治大正昭和の見識・内村翁は、往時の政府国及び軍部によって金言のように叫ばれた「愛国」の本質を見抜いてこのように記した。この本質は今日日の日本の姿にも通底する事柄だ。つまり今でも「愛国」を声高に叫ぶ輩はゼニ儲けのために「愛国」を叫んでいると言ってよい。

「愛国」とは日本でもどこの国でも「泣く子を黙らせる効果」があるのだろうか? 「愛国」を叫ぶ者は真実「国を愛する心と精神」を有しているのだろうか? 反対に政権を批判し国家を代表する政党や政権や大統領や首相を批判・批難する者たちは、「愛国」の心と精神が無いといえるのだろうか?

答えは簡単だ―つまり「愛国」を語る者に「愛国」の心と精神が存在するとは限らないこと、また国の大統領や首相や政権を批判する者たちにこそ「愛国」の心と精神が強く把持されることがある―という”事実”を述べるだけでいいだろう。

真の「愛国」とは、信条思想に関わらず、国の内外の現実を誠実に直視し、国の将来を過たないように計画し、平和を尊び、国民の福利の向上に力を注ぎ、人権意識の拡大に努め、自由が存分に享受できる社会と国を作ろうとする意思に外ならない。これが真の「愛国」だ。

「国家のあらゆる活動の中心には、人間とその不可侵の尊厳があるのです。」ドイツのアンゲラ・メルケル首相の言葉だ。政治家は国民の前で堂々とこのことを宣することができるかどうかだ。こうした政治家が国家を運営すれば、国家は過たないだろう。そのような政治家こそが真の「愛国者」ではないか。

日本はその意味では低劣で思念なき「政治屋」が政権を握って離さず国を支配しており、これら政治屋を到底「愛国者」と呼ぶことはできない。これら政治屋を見てみよ、"我欲"の塊りではないか。

 

アメリトランプ大統領も「アメリカファースト」を叫んで大統領になった。つまり「アメリカ愛国」への讃歌が大合唱となり膨らんでトランプは当選したのだ。ところがどうだろう。トランプは真の「愛国者」なのか? 

ジョン・ダワー『アメリカ・暴力の世紀』(岩波書店、2017)に記されたアメリカ軍産国家の目もくらむ巨額の軍事関連費にぶら下がる数多の富豪事業家たち、トランプが迎合してやまないNRA(全米ライフル協会) などの銃砲産業家たち、中東諸国や北朝鮮と他の国が仲良くしてくれては困る輩たちを見よ。こうした輩は「愛国」を唱えながら実は「我欲」を最優先している。だから「強欲」である。そして自国の利益のみを最優先して行動し、アメリカの利益のためなら、これに抗う国を排斥し続けている。現今国際貿易に起きている昏迷を見よ。国際的な富が急激に滅失し続けているではないか。端的にはアメリカの砲銃やあらゆるタイプの兵器の販路拡大、軍需関連産業の繁栄を心の底から願っている者たちの声が最も先行している。彼らは心底アメリカの将来を真剣に考えている「愛国」の徒なのだろうか?

トランプは「宇宙軍」創設を声高に叫ぶようになった。軍産国家アメリカの宿痾(病気)そのものである。アメリカでは銃乱射による殺人が増加したために銃規制への声も高まり、国内の銃の販路が拡大しなくなってきた。他方世界各国での代理戦争・局地戦も減少している情況にあり、血に飢えた軍需産業界はこぞって付加価値も高い「宇宙戦争」で稼ごうという流れである。つまり軍産国家アメリカの軍需産業は血に飢えているのだ。そこには収益の増大だけが最高の価値なのだ。トランプは「デストピア(暗黒郷、悲劇的社会)」を招来する悪魔のように見える。恐ろしい。

 

そして哀れなことに日本国内閣総理大臣アベスガ官房長官、諸大臣以下そのお仲間となりつつある。トランプに過激に追従するアベや官邸の輩、無能のクセに首相官邸で結婚記者会見をして顰蹙を買った兵卒コイズミJr.などは、何を血迷ってかアメリ諜報機関の先兵となり果て、トランプ「宇宙軍」の創設にわざわざ手を挙げて火中の栗拾いに勤しむ。既に来年度予算に「宇宙軍」参画への費用が計上された。畢竟彼などは日本の将来について何も考えていない、何の思念もない。アメリカに追従するだけの坊やにすぎない。彼は真に日本の将来に責任を持とうとし、この国を愛しているだろうか?  答えは「否」だ。自民党厚労部会長として彼は、世界に冠たる日本の国民皆保険制度を解体しようとしている。その代替部分をアメリカの保険企業に売り渡そうとしている。そんな輩を「愛国」者と呼ぶことは到底できない。だから殊更「愛国」を呪文の如く叫ぶ輩は手前の「ゼニ儲け」のために叫んでいるのだとワタシは断定する。やはり鑑三翁は本質を見抜いていたのだ。

 

もう一人の人間の言葉を聞こう。ドイツナチス政権下でヒトラーに次ぐナンバー2の国家元帥もつとめたH.W.ゲーリングの言葉だ。戦後彼は戦犯として捕えられた。そして戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判で彼は被告として次のように語った。

「反対の声があろうがなかろうが、人々を政治指導者の望むようにするのは簡単です。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そして国を更なる危険にさらす。このやりかたはどんな国でも有効ですよ。」

ゲーリングのこの言葉は冷徹で真理を突いている。

日本で憲法第九条の平和主義を唱える者に対して、”あなたにはこの美しい国を愛する心が欠けている、昔なら非国民だ”と恫喝しているのは、アベ政権官邸である。卑劣にも党務経験しかなく国政の場では無能を晒し続けたコイズミJr.などからもいずれ発せられる言葉だろう。彼らに日本の政治を委ねていると、間違いなく「デストピア」が出現する。未来の話ではない、今、その予兆をワタシは強く感じている。

 

独裁者よ、見よ!

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2019年8月の初めのこと。TVを何気なく見ていてこの映像(動画)を見た瞬間凍りついて、次に胸が詰まり嗚咽していた。隣で一緒に見ていた妻も同じだった。その日ワタシはこの映像についてメモを記した。

「シリア軍・ロシア軍合同の爆撃によって崩壊したビルの瓦礫の中で、下半身が完全に埋まった5歳くらいの女の子が、目の前で泣き叫んでいる5~6か月ほどの妹を両手で懸命に助け出そうともがいている―2019年8月初旬の頃の映像。この映像を撮影した市民は映像を撮った直後、近くの人たちと一緒にこの二人の女の子を助け出し病院に運んだという。姉は亡くなり妹は助かったと。ああ神よ!」 (190815)

その直後ワタシはこのニュース源を辿った。そして次の記事と写真を発見した。写真とともに記事を引用させていただく。

【カイロ共同190728】内戦が続くシリアの北西部イドリブ県で、空爆で倒壊した建物の下敷きになった5歳の女児が生後7カ月の妹のシャツをつかみ、助けようとする写真が会員制交流サイト(SNS)などで拡散している。現地メディアが28日までに伝えた。女児はその後死亡、妹は集中治療室(ICU)に入っている。痛ましい状況に衝撃が広がった。イドリブ県は反体制派の最後の拠点で、アサド政権とロシア軍による激しい攻撃が続いている。写真は24日、現地ジャーナリストが撮影した。倒壊した建物の上の方では、父親が姉妹に向かって必死に何かを叫ぶ様子が写っている。建物はその後さらに崩れ落ちた。

*写真キャプション:空爆で倒壊した建物の下敷きになったまま妹のトゥカちゃん(右)を助けようとする姉リハムちゃん(中央)。父親(左上)は姉妹に向かって何かを叫んでいる=24日、シリア・イドリブ県(シリア反体制派メディア「SY24」提供/共同)

 

 

デストピア(暗黒郷)はすぐそこに!

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かつてワタシは安倍晋三現首相(以下彼のことをAと略す)が書いたとされる『美しい国へ』を読んだことがある。改めて確かめてみると2006年初版なのでその頃だったようだ。1968年川端康成ノーベル賞を受賞した際の講演録が『美しい日本の私』(1969年)であったから、これの受け狙いもあってこの物欲しげな書名にしたに違いないと思いつつ、ワタシは立ち読みで済ました覚えがある。どうせゴーストが執筆したのだし、Aの自民党総裁選狙いに違いないと思いながら、立ったまま読み進めていくと、あまりのふわふわした幼稚な中身にうんざりとしながらも30分ほどで読了した。もちろん数百円がもったいなくて買わなかった。この本は調べてみたら改訂新版が出ているらしい。よくも恥ずかしげもなく…。

Aの本は言わんとしている事柄に「心」がないので表面的で薄く粗雑。それはここ数年のAの国会委員会答弁や党首討論などにも表れている。最近はふわふわがさらに劣化して意味不明支離滅裂となっていること、ご承知の通りだ。

Aの関連本は以後ワタシの住む市の図書館から借りることにしている。その後出版されたAに関する本では、Aは学歴コンプレックスが相当強く、旧帝大や有名私大出身の者が多い官僚や政治家に対する暗い敵愾心を秘めているとか、虚言癖があるとか、文字通りの強烈なマザコンであるとか、〇〇コンプレックスの塊であるとか、読書は苦手で手紙も書かないとか、心を許せる友達がいないとか‥‥こう記されている。確かにAはアメリカ大統領トランプの病的性格と酷似しているな。

しかしながらなぜこのような人格的偏りの酷いAが党の総理総裁となり日本国首相であり続けるのか、なぜ年齢の若い層に限ってAの内閣支持率が比較的高いのか‥‥不思議で不可解な現象が続くので、かねてからワタシなりにその「解」を探し続けてきた。

一つの「解」をワタシはM.ピカートに見出した。ピカートはスイス生まれの医師で20世紀を代表する思想家、日本でも『沈黙の世界』『神よりの逃走』そしてここで取り上げた『われわれ自身のなかのヒトラー』(いずれもみすず書房刊)などの翻訳書がある。ワタシはピカートの鋭い分析力と公正な判断力に感銘を受け学生時代に熟読した。その中の一文。

「現代のデモクラシーのなかでは、権力者の座にすわり独裁制を確立することのできる人間は、笊(ざる)ですくうほどある、とソレル(注・フランスの社会学者)が言っている。まったくその通りである。しかし、そのようなことがおよそ可能なのは、ただ、現代社会では誰でもが無目的にどんなところへでもつるつると滑ってゆくからだ。かくて誰かがたまたま国家権力へと滑り寄る。当人自身がまったく無自覚的に国家権力へと滑り寄ることさえしばしばである。(中略) このような連関性喪失の世界において、一個の空無、もしくは一個の低劣なもの、もしくは一個の凡庸なるものが絶対者の地位におしあげられ、まるでそれが――そのまわりに万人が群れ集まらねばならないところの――民族の中心であるかのように、この絶対化された眉唾(まゆつば)ものに関して語られ、書かれ、また写真が載せられたりしたことは、何もヒトラーに始まったわけではなく、ずっと以前からあったことである。」(M.ピカート、佐野利勝訳:われわれ自身のなかのヒトラー.p.11-13、みすず書房、1965.)

ワタシはこの一文を以下のように解釈した――今日日のような社会では、ピカートが言うように、人間がつるつると滑っていくうちに、社会の核となる部分が、覆面をした低劣な”空無”な何者かによって次第に奪取されて行き、後戻りできない恐ろしい社会が出現する可能性が十分ある。そこにはおそろしく凡庸な者、モラルにおいて低劣な者たちが支配する社会が出現する。障がい者や社会的に弱い者へのスティグマを固定化し差別を合法化する。人間は自由に発想し発言することはタブーとなりタレこみを奨励する密告社会が出現する。親は子に・夫は妻に・隣のオバちゃんに私の妻が・屁のような理由で密告されるのだ、かつての日本がそうだったように。そして密告を受けるニコニコ顔の凡庸な教師や警察官たちが強大な権限を持ち始める。権力取り巻きの諂(へつら)い小説家評論家宗教家らが今でも数多いるが、彼らが先頭に立って自己愛に基づく標語だけの空っぽな「愛国心」を説き、歴史観と道徳を全国規模の講演会で説き始める、この講演会に出席しない者は即座に召喚状が出される。国の指導者たちは難癖をつけて無価値な戦争を始め、号令一下有無を言わせず若者たちに戦地出陣を命じる。日本人のゆるい精神を叩き直すと称して軍事教練を課す。もちろん”いつのまにか”国民皆兵制。現に政権政党自民党公明党そして維新の会及びそれらの支持者の中に声高に徴兵制を叫ぶ者たちも多いではないか。かつてTVゲームの戦争をカッコイイと称賛していた若者たちは戦地での戦争の殺戮と悲惨に遭遇するが時すでに遅し、戦地から仮に身体壮健で帰国しても、彼らは戦地で雨のような砲弾を浴び人殺し作戦に従事したので心に深い傷を負い、多くの者がPTSD(心的外傷後ストレス障害。この疾患は治りにくい)に罹患することになる。現実にイラクに派遣された自衛隊員の中にPTSDに罹患した者が多かったという文献もある――。

このようにして気づかないうちに「デストピア」(暗黒郷、悲劇的社会)が出現するのだ。未来の話ではない、今、その予兆をワタシは強く感じている。

ワタシは出版人の端くれとして50年近く仕事をしてきた。出版に関わる人間として「言葉」を大事にしてきたし、「言葉」の変化・変容も実際現場で体験してきた。そして今日日、「言葉」が人間相互の信頼と理解を阻むほど、チカラを喪失しているのではないかと感じている。ワタシはこのことを系統的に学問として学習しているわけではないのでうまく表現できないのだが、ここはピカートの力を借りよう。

「言葉は、人間の内部が微塵に分裂し、連続性を喪失することによって破壊される。そうなれば、真理の連関的な力、法則的で包括的な力は言葉のなかに存在することができず、したがって真理はその表現を獲得することができなくなる。言葉ははじめから嘘になるのだ。」(前掲書、p.72)

ここでピカートの言う「真理」とは、西洋哲学思想の表現で少し難解すぎる表現なので、ワタシなら「真実」・「誠意」・「誠実」・「正しさ」といった日本語に置き換えて考えてみたいところだ。それにしてもピカートのこの部分の指摘は恐ろしく的確だ。

人間の内部が分裂し破戒されることで、「言葉」は「真実」を伝える手段・居場所ではなくなってくる、そして言葉ははじめから嘘になり嘘はひたすら繰り返されて行く‥ということだ。Aを観察していると、ピカートの指摘が腑に落ちる。

「寄り添う」ってか?

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NHKのニュース番組などの締めくくりの言葉、使い方はこうだ「このような被災地の方々の悩みと苦しみに私たちも寄り添っていかなければならないと思います」とか、「事故に遭い苦しんでいる人たちのことを思うとき私たちが寄り添って一緒に考えていくことが大事だと思います」とか、毎日何度もNHKのTVから発せられている言葉だから、例えは枚挙に暇なしだ。

「寄り添って」と聞くたびに、ワタシは一瞬考え込む。そして”わかったような全くわからないような”不思議な思いに陥る。ワタシが無理やり”偽善者”にさせられてしまう感覚になるのだ。つまり結局のところ”寄り添う”ことの本当の意味が解せないのだ。「被災地の人たちに寄り添う」ということは、現実的に被災地に行って仮設住宅に住んでいるその人の傍らにワタシがいてあげることなのか、そんなことは現実的には不可能だ。しかもその人は生活難で苦しんでいるのか、仕事が無くて苦悩しているのか、津波で亡くなった子どもの悲嘆の中にいるのか‥‥苦しみや悩みの中身は人各々で全く異なるだろうし、一般論で片づけることは誠に無礼である。

東京のNHKの編集者が、取材した現地職員の取材感覚や、被災地の人の苦しみや悩みに共感して編集作業をすることは可能かもしれない。だがTVニュースの担当官の書く原稿はそうした現場感覚からは遙かに遠くにあり、結局のところ原稿の締めくくりに”わかったような・わかったふりのできる”「寄り添って」という”無難で”それゆえ人間にとって極めて危険で愚かしい「言葉」で一件落着させることになる。一方視聴者も又”わかったような気になる”。ここではNHKの勝利だ。そしてニュースや番組が切り替わった途端、本人がトイレに立った瞬間、台所でガスに火をつけた途端、寄り添うもへったくれもなくなる、というわけだ。「あぁ、そんなことがあったかしらね」。

こんな言葉の群れを「目くらましの言葉」と言った人がいた。つまり共感をし、分かったようになり、自分が善人になったフリにさせる言葉は、人間を誤魔化すことになるだけなのだから、使うべきではないということだ。それじゃ「寄り添う」という言葉の代りにどんな言葉をつかえばいいのかと問われれば”そんなこと手前で考えろ!”とワタシは言う。

言葉というのは、時には、格闘し悶え苦悶して、ようやく吐き出すものだ。ただ黙っていることが最適な”言葉”もある。

だが心配することはないだろう。NHKには「放送用語集」なるものあり、その”番外編”にて、斯様な「目くらまし言葉集」があるはずだからだ。その中には「私たちは忘れてはならない」とか「共に考えて生きましょう」とか「十分注意していきたいものです」とか‥‥これら定型表現も例を挙げれば枚挙に暇なし。こんな”めくらましの言葉”に騙されてはいけない。

但し、ワタシやあなたが日常会話の中で使い、本当に寄り添うことのできる関係と距離にある場合には、「寄り添う」という言葉は活きてくるだろう。

死刑制度の国際標準を考えよ!

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1年が過ぎた。オウム真理教教祖ら7人の死刑執行の前日2018年7月5日夜、アベ自民党総裁を囲んで自民党諸氏ら、と言ってもへつらい議員たちらが自民党の施設で大宴会を開催した。当夜の宴会写真は片山某とかいう女性議員らが”嬉々として”SNSに投稿した。死刑執行を翌日にひかえて女性の法務大臣もアベの隣に坐して親指を立てていた。法務大臣死刑命令書発出の直後の映像ということになる。死刑執行の直前に親指立ててカンパーイ…もうこの連中に対する言葉もなかった。彼らが酒に浮かれている頃、西日本地方の豪雨による住民避難が始まり深刻な被害報告が報道され始めていた。

これらの議員は当夜、アベ首相らに揉み手・迎合・諂い・平身低頭・媚び・お世辞・おべっか…の限りを尽くして、必死になって動物園のボスサルに忠誠を示していたのだ。何しろこのアベスガの内閣は、同僚だろうが政敵だろうが自民党だろうが野党だろうが、警察/公安/探偵事務所/懇ろの報道機関/広告代理店‥を動員して彼らの身辺調査を行い、恫喝資料を収集して憚らない恐怖政治を敷いているから、これら議員も哀れと言えば哀れである。いずれにせよゴミである、クソである、浅ましい、無残である。水害被災と死刑執行と。当夜人間であることの悲しみがワタシを襲った。

片山某らは何しろ必死だった。アベに褒められようとして投稿したら、その余りの破廉恥非道ぶりに非難が殺到したので直ちに削除したらしいが時すでに遅し、今でもこの写真は繰り返しSNSに登場する。

当日アベ内閣御用達NHK及び新聞社の新聞号外が不思議なほど早く出た。ワタシが購読している新聞夕刊にはオウム真理教の死刑囚のニュースに3㌢四方の活字が踊っていた。腐れ、廃れ、不浄、汚穢、荒廃…何というか、親指立ててカンパーイの投稿写真を見て、思わずゲーテの「ファウスト」の魔女達の祝宴を思った。でも魔女たちには、季節の祝宴という大義というか意味があった。だが今回のアベカタヤマたちの親指乾杯には”何もない”。魔女の宴に比較すべくもない、はるかにはるかに低劣でおぞましい光景である。

いくら裁判で極悪の人間と裁定されたとは言え、死刑は国家の手による殺人である。殺人による一人の人間の死を結果する。関係する人間たちには厳粛な態度が求められていい筈だ。過去の法務大臣の中にも、自らの信条に反するからとして、死刑命令書に署名をしなかった人間もいる。それほど厳粛な事案なのだ。法務大臣が死刑命令書に署名したことの心理的重圧を軽くするために飲酒したという弁護論も聞こえたが理由としては笑止、なぜならばそもそも法務大臣という職責には死刑命令書への署名が委ねられているからだ。

ワタシは死刑制度については若い頃からいささか学習した。ワタシは死刑制度には徹底して反対である。この国は1日で7人も同時執行する国だ。そしてこの情報を何故か民放より早く入手した公共放送局NHK拘置所からの映像を流し続けた。死刑をあたかも何かのイヴェントの如く扱いリアルタイムで報道する異様さ、異常さ。日本の報道機関も相当荒んでいるな、とワタシは感じた。報道の是非と価値を一旦引いて冷徹に吟味する思慮もなく、ひたすら視聴率という「空虚」に闇雲に迎合するところに、一体何があるというのだろう。この狂気のようなものは、政権政党内閣の恫喝に屈服する報道機関の脆弱さへとつながっていくとワタシは確信した。

EUは日本政府に対して、国家的殺人としての死刑制度の廃止を公式にアピールした。全てを隠蔽し人命を恣意的に殺戮する独裁者の支配する国ならいざ知らず、国際標準というのはEUのような考え方に基づいていることを日本政府は知るべきだ。しかし‥聞く耳を持たず思慮する心を亡くしているのが現今日本政府だ。ワタシは心底絶望の淵に立ち続けている。アベ政権下で「人権意識」もどんどんマヒしている。

辺見庸は昨年のこの日の直後ブログでこう記した。「死刑こそが国家暴力の母型である。それは戦争というスペクタクルの、最小単位の顕示である。気づくものは、つとに気づいている。戦後政治に比類ない、犯罪者集団でもあるこの政権は、なんでもできるようになった。そして、じじつ、やりたい放題である。9条覆滅から軍事・警察国家の樹立まで。人民と民主主義の名において。」(辺見庸ブログ、20180708)

ワタシも今この国で深々と密に恐ろしいことが起こっていることを知る。君ら知るや!民主主義に手錠を嵌める戦慄の暗黒の日々が既に到来していることを!

良心の呵責を感じませんか、あなた!

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2018年の悲惨のハイライト・モリカケ問題の報道を連日見ていて、アベアソウスガや官僚たちの明々白々の「ウソ」で嫌気がさしたことを記憶している。当時の新聞TVの報道記者も野党の面々も同じ気持に落ち込んでいたのではないか。この事象は、それもこれもアベ首相の「ウソ」が発端となり、そのウソをアベ首相が認めないので、周囲の全ての者が彼を慮って何もかもを巻き込んでウソの上塗りが始まったというのが、今日までの評価である。「忖度」という妙な言葉が流行した。「もし治める者が偽りの言葉に聞くならば、その役人らはみな悪くなる。」(聖書箴言第29章)そのままを地で行っているなとワタシは連日感じていた。

どこかで読んだ本の中で、アベ首相の幼少時の家政婦の人(?)がアベ君は小さいときから「ウソをつくのが上手だった」と語っていた。いわゆるモリカケ問題の国会での彼のウソが、彼自身やアベ嫁に止まらずに官僚やら外部関係者を巻き込んでいったところに悲劇がある。あげくの果てに官僚に自殺者まで出たではないか。アベのウソがなかりせば近畿財務局のこの職員の自死はなかったのだ。アベアソウスガはこの件に関しても因果関係はないと言い続けた。

パイ生地のように折りたたまれてウソの塊が膨れていく様を見ていて、ワタシはこんな輩が日本の政治のトップに鎮座し続けるなら、日本を脱出しようとまで考えた。そしてEUのとある国に行く計画まで立てた。EU諸国も様々に問題を抱えているとは言え、政治及び政治家は少なくとも日本よりは成熟の度合いを深めている。これらの国々は互いに国境を接しながら大国の横暴、領土争い、宗教対立といった患難に遭遇し忍苦し鍛錬され希望を生き抜いてきた国々だ。ここでワタシのこれからの人生を過ごす方がよほど精神保健上も好ましいと考えたものだ。この脱出計画は今でも捨てていない。

ワタシは今年6月の党首討論のやりとりを全文読んだ。アベ首相は正面から野党党首の質問に答える意欲と能力と誠意が皆無であることがわかる。エ~ア~ウ~……が多く、失言間違い錯誤を避けて明らかにこの数時間をしのいで逃げたいとの意思が丸見えだ。同じ所をグルグルと回っている。核心に触れる言葉は皆無だ。ワタシは何度も吹き出してしまった。稚拙そのものである。これが一国の首相とは!誰が斯様な人間を行政府の長として選んでしまったのだろうか。

そこで昨年(2018年)の国会党首討論岡田克也を思い起こした。いつもの通りのグズグズの何を言っているのか論旨不明の答弁をするアベ首相に対して、岡田は「良心の呵責、感じませんか。あなた! そのことだけ申し上げておきたい!」と啖呵(たんか)を切って討論を打ち切ったのだった。「良心の呵責」これである。アベ首相はこわばったようなやり場のない顔つきで目は泳いでいた。岡田の「良心の呵責」発言はワタシの胸に響いた。久しぶりに痛快な清新な言葉を聞いたからである。

岡田はかつて同僚に「アベ首相だけは話をするのも嫌だ」と漏らしていたという。おそらく近しい者がすぐわかるアベ首相の廃れた人間性、例えばとっさのウソ、論旨不明の言動、生活困難の中にいる人や社会的障壁と闘っている人たちへの無関心、障がいをもって生活している人間に対する冷酷さ、無知による傲慢、知性の欠如‥‥そういった彼の人間性に嫌気がさしていたのだろう。嫌悪していたから党首討論も不承不承だったのではないか。何を言ってもアベ首相は不誠実で「心が亡い」から、答えがまともに返されることはないことを承知しているからだ。そしてこの日もその通りになった。だからこの日の啖呵となったのだ。岡田も豪胆である。というよりもごく当たり前の発言だったと思う。それにしても誰がアベ君を首相にしてしまったのだろうか‥。

ウソには良いウソというものもあるだろう。それは人を想ってのウソである。ところがアベアソウそしてスガのウソは「質が悪い」。言い方を変えれば、手前たちの身分保存のためにはあらゆる手段・あらゆる場で、「国民」の前で、報道記者の前で、自死した者が出ようがなりふり構わずウソをつき続ける。スガという官房長官もなかなかのものだ。政権政党・政敵・野党・タレントを問わず公安・警察・内閣府・広告代理店らに手を回し、その人間を毀損する裏情報を集め、恫喝の材料としている。取材記者とのやり取りの中でも、スガの対応がきわめて「陰湿横暴」であることがわかる。相当の悪玉だ。この官房長官はウソの塊りが見え見えなので、彼の記者会見のTVニュースだけは見ないという者がワタシの周囲では多い。

人はなぜ「ウソ」をつくのだろうか。最近興味深い資料を読んだ(AFP BBNEWS記事161025)。この記事は英科学誌Nature Neuroscienceに掲載された実験に基づいた論文を再構成したものだ。その要点はこうだ。

「人間は、ウソを重ねるとともに脳に表れる感情的な反応が徐々に弱くなる。つまり不正直な行動が繰り返されると、その程度が増大することが実験で示された。不正直な行為を思いとどまらせる社会規範や道徳があるにもかかわらず、人々がたわいのないウソから大ぼらを吹くようになるまでの仕組みが明らかにされた。人を欺いたことのある人は、その不正直な行為が雪だるま式に増大することを知っている。だが今回の研究からは避けられない結論が一つ導き出される──それは、ウソを多くつくほど、ウソは上達する。」アベアソウそしてスガの顔が鮮明に浮かんだ。

そう、軍産国家アメリカのトランプもウソの名手。アメリカ報道機関のファクトチェックによれば、トランプの大統領選挙中及びその後のツイッターでの発言は「その大半がウソ」という評価だから恐ろしい。日本でも報道機関でのファクトチェックが始まっているが、動きは遅い。報道機関は独立した組織でこれを行うべきだ。そうすれば官房長官が手を回すことも難しくなるだろう。だが問題の核心は「社会規範や道徳が存在するにもかかわらず」保身と真実と事実隠蔽のためにウソをつき続ける「政治家」であることは言うまでもない。

ゲソ政治家‥日本の不幸

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イカのゲソは昔は捨てられていた。マグロのトロ、カツオのハラガワなども同じだった。ところが江戸東京の人口が増えてきて捨てるのは勿体ないと気づいた魚屋あり、食してみたところ食えないことはないとされ今では珍品とも高級品ともされて大手を振って歩いている。人間の舌もいい加減なものだ。しかしどんなに気張ったところで、たかがゲソ、トロ、ハラガワで「本物」にはかなわない。今様の政治家のごとくである。

病人が出ても医者にかかれないような貧しい生活を何とか克復するために、雪深き寒村を脱出して政治家を職業として志を立て、労苦を重ねて政治家になったような者には心に「熱」があった。生活に難儀している人たちに対する「愛情」「責任感」が強い。彼らは「本物の政治家」になった。功罪あるが越後の柄の大きな田中角栄を思い出す。田中は何よりも戦争を嫌悪していた、そして日本国憲法を能く理解し尊重していた。田中は政治を実務と考えていたから「美しい国‥」などと気色悪い虚言を吐かなかった。何よりも日本及び日本人を愛した。日本政治のあり方「理念」を抱いていた。日本は日本なりの国際社会での生き方がある、田中は列島改造を言いながら、このことを確信していた。人間が大きかった。しかし無念なことに脇にスキができて軍産国家アメリカの罠に嵌った。

これに対し祖先やオジイチャンや親のご威光でカバンカンバンジバンが整えられた上に乗っかって、のほほんと政治家となった七光り盆暗(ぼんくら)政治家には、驚くほどに「熱」「愛情」「責任感」がない。学校も裏口ときているから知的に訓練されることもなく、大学に入っても日本国憲法全文を真摯に読むこともない――つまり「ゲソ政治家」の誕生である。彼らにとって政治は実務ではなく口先だけの虚業である。

今の政権政党国会議員の多くは七光りのゲソ政治家である。官僚組織は政策を立派に作ってくる。政策戦略は大手広告代理店が党本部と内閣府合同で作り上げる。選挙対策まで大手広告代理店の手中にあるから手を汚さずともよい。ゲソ政治家は個々の政策への着眼もなく関心は薄く昏い。国会での政策論議は官僚がぴったりと横についているのに、すぐに「小さな我(が)」を見せようとするから、しばしば間違える、立ち往生し、そして苦しまぎれのウソをつく、ウソの帯は幾重にも重ねられる、そして取り返しのつかない所に着地する。すると手のひらを返したように「それらは全て官僚たちの為したことがらですから、代って答弁させ責任を取らせます」となる。官僚たちが徹底してへつらうのは当然である。その後ゲソ政治家は政治の責任についてはとぼけ通す。「どうせ愚かな民のことだ七十五日もすれば忘れるに決まっている」とベロを出しながら七十五日を待ち続ける。そして事実そのウソを全ての者が忘れる。ゲソ政治家の勝利、というわけだ。

国会委員会審議はボロ出しが怖いから開催しない、ゲソ政治家は大手広告代理店に言われるがままに大手新聞社TV企業のトップらとメシを食う、タレントと遊戯にふける、その映像がネットTVで配信される。

日本国憲法全文の理解もできないくせに自分の専売特許のように「憲法改正」を廃品回収車のスピーカーのように繰り返す。これしかセールスポイントがないからだ。だが現今与野党憲法改正の議論に乗ってくるはずもない。そこを彼は百も承知の上で「憲法改正」をあたかも”高度な高級な議論”であるかのように叫ぶのだ。憲法改正の議論に乗ってこないのは野党のせいだと言い出し選挙の点稼ぎを始める…自作自演の幼児劇である。政権政党内でもせせら笑いの声も聞こえる。これが日本国アベ首相。

こんなゲソ政治家は、国民に対する「責任感」が乏しく、ましてや百年の国家の計など思いつきもしない。彼らは政治家というよりサラリーマンである。それも才能や能力や智慧や志の幅から言えば「初級管理職」どまり。だから政治が「安っぽい」。ゲソは下足とも書くが「下足政治」つまり捨てていいようなちまちました政策に狂奔して恥じない。小学生の子どもにも気づかれるようなウソを平気でつき続ける――幼稚なのだ。

ワタシは学生時代まではそれなりの志をもって政治家を職業として選択すべく、別名政治家養成所とも言われたサークルで活動をした。政治家秘書の真似事もした。友人先輩後輩には国会議員地方議会議員知事なども多くいる。しかしワタシ自身は「とてもじゃないが政治家には自分は不向き」だと判断して政治家となる志は捨てた。爾来友人先輩後輩の政治家などを沢山見てきたし、何十年の交流もあった者も多い。しかしワタシは心底彼らを「人間・友人」として信用したことはない。彼らを利用した事もないし便宜をはかってもらったこともない。そして今日まで彼らをじっくり観察してきた。そう、彼らは「初級管理職」サラリーマンそのままである。

やや違う所と言えば、多額の歳費を懐にしエリート官僚をアゴで動かせるので、人生哲学の基本的な部分で大きな勘違いをし錯覚を繰り返すことと、その結果権力とゼニの匂いを強く好む性分の持ち主へと変貌する。全体小人である。そしていつも小心でありながら抜け目がなくへつらい上手の人間として養殖されてきた。

恐ろしいことにその「ゲソ政治家」の器がさらにどんどん「劣化」してきている。目もあてられない。「劣化」は英語でDegradation、訳は「低落、下落、堕落、頽廃、退廃、退化、分解、変質」などとある。そのとおり、アベアソウスガはじめ日本の今の政権政党の政治家たちにはこの日本語訳がふさわしい。

明治から昭和を生きた基督者にして言論世界で影響力の大きかった内村鑑三翁は、政治家についてこう記している。

「国を治むる事は左程の難事にあらず、難事とは蓋(けだ)し我意を支配するにあり、慾を抑ふるにあり、位を軽んずるにあり、心の富を楽んで身の栄光を耻(はじ)とするにあり、英傑は政治家の中に求むべき者に非ずして反って小農小賣の間に尋ぬべき者なるは全く之が為めなり。」(内村鑑三全集8、p.70)

……政治家や行政官など国の運営にあずかる人間の仕事なぞ、大して難しいことじゃない。本当に人間にとって難しいのは自分自身の意志と我欲をコントロールすること、組織の長などの地位に執着しないこと、心が豊かであることを楽しみ叙勲などの授賞を心から恥じること、そういった精神的な高さを保つことこそ難しいのだ。傑出して優れた人間というものは政治家のような人種におらずに、むしろ農業や商売人といった市井の人の中にいるものだ。……

この部分は以前にも引用したことがある。