KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

小事善大事悪;キモの小さなニッポン人

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私が敬愛する内村鑑三翁は、明治・大正・昭和と生きた言論人にして基督者として知られている。翁の社会に対する発言の的確さと鋭さには驚嘆すべきものがある。これらの発言は、藩閥政治や政界・政治家、教育界・教育者、新聞界・新聞人、出版界、宗教界・宗教家などに止まらず、海外文学、日本文学、国際政治情況等々にわたっている。現代に比べれば情報の質量は極小であったのだろうが、沈思黙考すること並大抵の努力ではなかっただろうと推測される。何しろ翁の論文・発言録・講演録・寄稿・手紙・日記を網羅・収録した内村鑑三全集(岩波書店版)は全40巻ある。

鑑三翁は日本の基督教の指導者というよりも、日本を先導する指導者として言論界でも注視されていた人である。当時としてはその情報収集能力、外国語能力、特に英語の能力が優れていた。それは1885年から3年間にわたるアメリカ留学に負うところが多いだろうが、帰国後の精進も並大抵ではなかったことがわかる。因みに鑑三翁の有名な著作『余は如何にして基督信徒となりし乎』は、鑑三翁35歳の1895年に英語版「How I Became a Christian」として刊行されたものであり、その後和文、海外ではドイツ語、フランス語、デンマーク語、スウェーデン語等に翻訳された。しかも内外の知人も多く、それらの人たちや刊行物から仕入れた情報は多岐にわたり厖大なものだったのだろう。それらが的確に鑑三翁の中で咀嚼されたものが「言論」として発出されたのだった。しかもその言論の多岐にわたること、時には真剣なで斬りの如く激しく鋭い舌鋒もあるので驚く。胆の据わったスケールの大きな人だったのだろう。

ところで今日ワタシたちを取り巻く状況はどうだろう。フェイスブックツィッターなどワタシもアカウントをもって仕事をしていたが、仕事を離れて後自ら使うことは皆無となった。時折覗くことはあるもののワタシはこの半年間一度も投稿していない。投稿すればひたすら些細な「小事、気分を害する瑣事」が押し寄せるからだ。そしてワタシは思うのだ‥情報も多く社会生活もどんどん便利になっているのだが、人間はそれと反比例してどんどん馬鹿になり浅薄になり小さくなっているのではないか‥と。

そして些細な事柄と大事な事柄との境界が薄らいできて、大だろうが小だろうが、手前が良いと感じたら良いこと・悪いと感じたら悪いことといった程度の独善が、生活の規準となってきている。だから自分の感じ考えたことを立ち止まって考えてみる思慮深さや、他人の考え方や思想や生活感に対する寛大さや寛容な精神が薄れて、社会的に弱い立場にある人々や障がいを持った人たちや子供たちに対する哀憐の感情も酷薄なものとなっている。糞のような情報ばかりか嘘(フェイク)情報も堂々と数多飛び交う。小心翼々の小者ばかりである。小心で馬鹿になっているのはこの国のアベスガアソウなどの政治家筆頭に官僚、実業家なども同類なのではないか、と思う。些末なること蚤の如し。

8年近く続いたアベ政権は、アベ政権幹部以下官僚までもがパンツのひもが緩むように弛緩し、「政治政策」なるものは全く打ち出せず「世論調査」でも内閣支持率が極端に低迷していたのだが、アベがまたまた詐病を理由に政権を投げ出すことになって辞任の記者会見を行った途端に、通信新聞TV企業の「世論調査」は、過去の安倍政権の実績を高く評価し内閣支持率も2倍近くとなるという現象が起こった。一体何が起こったのかとワタシは驚いた。これに関して前川喜平氏は「日本国民は蒙昧の民か」と題してこの現象を批判する(東京新聞200913)。前川氏は魯迅の「阿Q正伝」を引き合いに出して、百年前の中国を舞台に無知蒙昧の民阿Qの愚かな生涯に似て、日本国民は阿Qに成り下がったのではないかと痛罵している。そして愚かな国民は愚かな政府しか持てない、これを変えていくにはメディアと教育関係者が大きな役割を果たさなければならない、メディア関係者と教育関係者が権威主義や事大主義に毒され、同調圧力に加担し付和雷同に走るなら、日本国民はますます蒙昧の淵に沈むだろう、と諫めている。

もっともワタシは通信新聞TV企業の「世論調査」の設問が浅慮で配慮に欠けているから、その回答が正鵠に「民意」「世論」を表すには無理があると考えている。メディアによってはあからさまに政権擁護の姿勢を恥じることなく、政権機関紙のごとく鮮明にしている企業がある。何はとまれワタシは内村鑑三翁の次の言に同意する。「輿論は神の声なりと意(おも)ふは非なり、神の声は常に輿論に反対す‥悪人が多数を占むる社会の輿論なるものに従ふべからず。」(内村鑑三全集13、p.122) 世論などというものは、神の声とは逆だと、悪人の声の大きな社会ではなお更ではないか‥至言である。

鑑三翁から見るとニッポン人はスケールが小さな人間ばかりだ。「小事に善にして大事に悪なるは今の日本人なり、酒掃応待(さいそうおうたい)、起止進退とか称して、帽子の取り様、敬礼の仕様、御辞儀の仕様等に厳格にして、虚言を吐くを憚からず、慾を以て耻となさず、人道の大綱を紊(みだ)るも、礼儀作法さへ能く尽せば、忠良の民として迎へらる、馬鹿々々しき限りにこそ。」(内村鑑三全集6、p.135) つまり「メシの食い方、寝起きの習慣、帽子の取り方、敬礼の仕方、お辞儀の仕方等については厳格なのに、虚言を吐くことを恥じないし、欲望を表しても恥としないし、人間社会の道徳が大いに乱れても礼儀作法といった些末さえよければ”いい子だいい人だ”と褒められている様は馬鹿馬鹿しくて見ていられない」と。鑑三翁の明治の言葉なるも、どうしてどうして、日本人の気概のスケールの小ささ、些末だけに目をやって大局を見ない・見誤る類の気性、哀憫の情とて独善的、昨今の役人官僚の諂(へつらい)根性‥明治時代のハナシではない、今日日のニッポン人のハナシだろう。

鑑三翁ばかりではない。昭和のコラムニスト故山本夏彦に「四畳半の正義」の一文あり、冷雪寒風れ吹きすさぶ中、炬燵にぬくぬくと入って天下国家正義不正義人道非人道論ずる小善の詰まらなさを記していた。だがハテどの本の中であったか辿れない。最近ワタシはこのような怠惰及び記憶欠落が甚だしい。