KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

嘘と不正を繰り返す人って‥

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アベ首相が20年8月下旬退陣を示唆した。本人の記者会見では持病の悪化が政治判断を過つので‥と言っていたが、主治医がいる慶応義塾大学病院の医師らは「虚偽だ、詐病だ」とコメントしているらしい。息を吐くように嘘をつく人間は、この期に至ってもなお嘘をつき続ける。こうなると誰だって「本当の辞任の原因は他にある」と考えるのが自然だ。この人の場合嘘つきが”病気”なのだろう。

さてかつてワタシは安倍晋三現首相(以下彼のことをAと略す)が書いたとされる『美しい国へ』を読んだことがある。改めて確かめてみると2006年初版なのでその頃だったようだ。1968年川端康成ノーベル賞を受賞した際の講演録が『美しい日本の私』(1969年)であったから、これの受け狙いもあってこの物欲しげな書名にしたに違いないと思いつつ、ワタシは立ち読みで済ました覚えがある。どうせゴーストに書かせたに違いないし、Aの自民党総裁選狙いに違いないと思いながら、立ったまま読み進めていくと、あまりのふわふわした幼稚な中身にうんざりとしながらも30分ほどで読了した。小中学生向きの出版物だったのかもしれない。

Aの本はゴーストに書かせたものだが、どうしてふわふわしていたのだろう。その理由は、ふわふわした美しくもない型通りの言葉の羅列と、言わんとしている事柄・事象が的確でなく粗雑だったからに違いない。それはここ数年のAの国会での言質でわかることだ。空無で何もないところからいくら装飾しても輝くダイヤモンドは生まれない。

その後近出版されたAに関する本では、(残念ながら読んではいないので正確ではないがFacebook等などによる内容紹介によると)Aは学歴コンプレックスが相当強く、旧帝大や有名私大出身の者が多い官僚や政治家に対する暗い敵愾心を秘めているとか、幼いころから虚言癖がひどかったとか、文字通りの強烈なマザコンであるとか、各種様々な〇〇コンプレックスの塊であるとか、読書は苦手で手紙も書かないとか、心を許せる友達がいないとか‥。アベ首相の在籍した成蹊大学政治学の担当教授は、必修の政治学の講義には一度も出席していなかったが彼は堂々と卒業した、裏口入学ということは聞いていたが、裏口卒業というのは彼が初めてで前にも後にも聞いたことがない、とか‥。

こう書いていてアベ首相はアメリカ大統領トランプの病的性格と酷似していると感じる。バンディ・リー編集の『ドナルド・トランプの危険な兆候』(2018)によると、トランプの病的性格(精神病質)に関して、アメリカの精神医学者・精神分析学者らは次のように分析している(疾患・症候名の要点のみ)。即ち、「他者への共感性の欠如」「自己反省の欠如」「嘘と不正を繰り返す」「現実の喪失」「激怒反応と衝動性」「刹那的快楽主義」「情緒発達の停止」「人格否定」「嘘つき」「パラノイア」「人種差別主義者」「自己肥大」「悪性ナルシシズム人格」「反社会性パーソナリティ障害」「責任感の欠如・他責者」「社会感情の欠如」「欺瞞に充ちている」「暴君」「社会病質」「DSM-5(※アメリカ精神医学会による精神障がいの診断と統計マニュアル)の反社会性パーソナリティ障害」「精神病質(サイコパス)」‥‥多くの執筆者たちが診断を下したトランプの精神病質に関する診断名はまだまだ登場するが、この辺にしておく。これらは同時にほとんどアベ首相にも該当するような気がする。ワタシに限らずこれを指摘する人も多い。

しかしながら(アメリカのトランプにも共通するのだが)なぜこのような人格的偏りの酷いAが党の総理総裁となり日本国首相であり続けたのか、なぜ若い層にだけAの主宰する内閣の支持率が高いのか、不思議で不可解な現象が続くので、かねてからワタシなりにその「解」を探し続けてきた。

かく言うワタシも大学では政治学を専攻して職業は政治家志望だったし、4年間在籍した弁論部の先輩後輩と同期の友人たちには国会議員も数多いるし、自治体の知事・議員も数多いる。ワタシ自身も政治家の選挙応援で駆け回ったこともあるし、身内にも政治家がいるし‥‥ということで、政治の世界にそれほど疎いわけではない。政治世界の嗅覚も働いているつもりだ。しかしながらAの独裁ともいえる政権がなぜこれほど長く続いているのか、日本の政治世界で一体何が起きているのかを、興味を通り越して真剣に知りたいと考えてきた。

 一つの「解」をワタシはM.ピカートに見出した。

馬鹿の政治

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「馬鹿」は使い方によっては差別用語ともなるだろう。だが待てよ。永六輔が法律で尺貫法を用いることを禁止したことを受けて、尺貫法の復権運動を展開したことがある。だって落語で熊さん八つぁんの住む「間口九尺の長屋…」を「間口2.7メートルの…」としたら、「オマエさんは馬鹿だねぇ…」を「オマエさんは理解力が人と比べて劣っているねぇ…」としたら、伝統落語は死ぬだろうと言った。永六輔は尺貫法廃止自体に反対しながら、実は広く日本の言葉の伝統をも守ろうした。そしてその反対運動は一定の成果をあげた。

「馬鹿」は「馬鹿」である。「馬鹿の政治」の一幕。かなり前のことになるが予算委員会で野党議員の質問の際、官僚の一人が”閣僚の覚えよろしく”を狙ってヤジを飛ばした。その官僚が当然のことながら野党議員に突き上げられた。一官僚が国会の委員会で野次を飛ばすなど言語道断無礼で世が世ならその浅薄さに打ち首である。荒み切ったアベ内閣では恥も外聞もなく嘘と空語とが乱れ飛んでいたが、この日はあのメッセンジャースガ官房長官が「あれは助言でした」と答えた。ワタシはこのシーンを思い出すたびに吹き出してしまう。考え抜いたとはいえあまりに見え透いた嘘を平然と口にするこのスガという官房長官は、言葉を変えれば現実が変わる‥と考える最も非知性的な思考をする人間だ。スガはアベ同様上西充子氏の「ご飯論法」すり替え論法の話題に事欠かない人間だ。そのうえ狡くて諂い上手くドブの臭いを発する策士だから一晩二晩寝ないで記者会見の回答をひねり出したのだった、そうだ「助言」の一言で騙そう逃げよう‥。

前は隠すが後ろ姿がハダカなのに気づかぬのはアベ内閣総理大臣だけではなかった、スガもハダカの後ろ姿をモロに晒している。二人並んでブザマで戯画になる光景である。「馬鹿」である。これら二人の素性が如何なるものかを調べてみたらいい、ワタシはずーっと前に調査済だから言う、この輩の心にはひねくれた薄暗い「恨み」が棲みついているから気をつけろ。

「鹿は鹿なり馬は馬なりと知ると雖(いえど)も若し政権の諂(こ)ぶ(へつらう)べきあれば鹿を見て馬と呼ぶにあらずや」(内村鑑三:求安録、内村鑑三全集2、p.202、岩波書店、1980.)

つまり‥‥イヤイヤ説明の必要はなかろうよ。明治の見識・鑑三翁の時代も、鑑三翁の前後の模様を読むと同じような政治状況と政治家がいて、鑑三翁はそれに対して怒りを発している。

しかし政治家の劣化といい思想と心を持たないことといい、明治の時代のそれらは、今日日の酷い状況ほどではなかっただろう。今日までの内閣総理大臣官房長官財務大臣らの無見識無知傲慢は、数多の官僚たちを諂い上手にさせ、虚言家に堕させ、アタマを腐敗させてきた。

ところが政権が8年近くも続くと物事が全て失禁したかのようになってきた。そこで内閣総理大臣以下の無能不様を見抜いた官僚たちは、彼らを手玉に取るようになって行く。海外でも国内でも、深いところに侮蔑と嘲笑を潜ませたキーノート原稿を作成した。「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」「ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか!」2019年のプーチンとの会談後のこのセリフにワタシは3日間ほど思い出し笑いが止まらなかった。このセリフを作った官邸官僚にワタシは「君側の奸」を読んだ。

官僚の陰湿に燃える野望は論功行賞を伴った「君側の奸」を地で行くことになった。「コロナ対策にゃマスクを全国民に配れば愚かな国民は涙を流して喜びますぜ!」居酒屋で思いついたような話題を提供した。すると不幸なことにこれを本気にした首相は「それいいね!」となり、数億枚のマスクを数百億かけて海外に手配して何か月もかけて配布した。ゴミと昆虫の死骸も入った小ぶりの子供用のようなマスクは、案の定市民国民の顰蹙を買って大量のマスクが役所に返送されるというお粗末。

首相を手玉に取って操る官僚の勝利が続く。こうした傷ましい構造は、日本政治史上稀な見るも無残な「馬鹿の政治」の一幕としか評しようがない。そしてアベ首相の辞任(というより政権投げ出し)の後継は、これ又馬鹿が請けることになったらしい。やんぬるかな。

 

ニッポン国の荒みと滅びの予感

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アベ首相が退陣を表明した直後に通信社TV企業新聞社の世論調査が行われ、俄然内閣支持率が急上昇したとの報道。この支持率の急上昇には、世論調査自体の愚かなカラクリがあるとしても、これはワタシは深刻な現象であると考えている。なぜ深刻なのか‥。明治の言論人にして基督者内村鑑三翁の言葉に聴きたい。

「国民を信ぜざる亦信ずる能はざる退縮的の政府が、自己の衰亡と共に国家の壊頽(かいたい)を助けつゝあるは歎ずべきかな。」との言は、鑑三翁が明治31年6月に『東京独立雑誌』第2号に記した記事である。国民を信じない・信じることのできない腰が引け頽廃した政府が、政権の衰亡と共に国家の壊頽をも助長しているのだ、と指弾している。暗愚なアベ首相を戴いてきた現今の日本の政治政局はこれを地で行っているではないか。

だが鑑三翁は実はもっと痛烈に日本及び日本人を指弾している。鑑三翁は「時勢の観察」として次のように記す(明治29年8月)。「日本人は理屈上私徳の真価を知る、然れども実際上敗徳の政治家を許し、彼をして其位置を保たしめ、或は若し一時の恥辱に陥らしむる事あるも社会は躊躇せずして再び彼を迎へ、私徳の欠乏の故を以て彼の社会上の勢力を奪はず、寛大なるは実に日本人なるかな。…政治家の私業を政治問題外に撤去するは日本国民の一特徴なるが如し。云々」(内村鑑三全集3、時勢の観察、p.228) アベ政権下では大手広告代理店と人材派遣企業のタケナカ某らの”政商”が政権中枢に食い込み特定の座を占めて、国の事業の利得を総取りしていた事実が明るみにされた。これらは明らかな犯罪行為である。しかし本来政治政権を監視する役割を担うはずのマスコミに関しては、アベ政権の官房機密費をふんだんに使った懐柔策に貶められたマスコミ幹部による記事操作により、この犯罪行為は”正当化”されてきた。未だにタケナカ某やら広告代理店幹部は政権幹部の”ご指南役”として蠢いていて恥じ入るところもない。鑑三翁の言う”政治家の私業を政治問題外に撤去”である。

さらに鑑三翁の声を聴こう。鑑三翁は政府の不埒な行為行動を監視することなく、これらを許す日本人をも痛烈に断罪している。「日本人は浅い民である。彼等は喜ぶに浅くある、怒るに浅くある、彼等は唯我(が)を張るに強くあるのみである。忌々(いまいま)しいことは彼等が怒る時の主なる動機であって、彼等は深く静に怒ることが出来ない。」(内村鑑三全集28、p.200)今日日この感を強くするのはワタシばかりではないだろう。

藩閥政治の色濃かった明治の時代に、鑑三翁は日本及び日本人をこのように喝破していた。見抜いていた。そこから日本及び日本人は変わったのだろうか‥。残念ながら今日日ワタシは、アベ首相退陣の直後の”世論調査”に見られるように、哲理なくすぐに「忘れ許す」日本人の性分を現実のものとして見ている。「国の滅(ほろ)び」とは斯様なことを言うのだろうと思う。国は政府の蛮行頽廃杜撰無倫理無道によって、マスコミの堕落頽廃によって、そして何よりも日本人によって”滅び”を迎えるのだ。

アベ首相の後釜には自民党内で談合が続き(恐らく小派閥は現金で取引売却され)、今日日あの無為と無能のアベ内閣を象徴するスガ官房長官が本命と聞く。廃れ果てた政党内の絵図は、アベ首相の刑事訴追を免れるための検察への恫喝継続と利権確保のための後継人選で決着がつき、描き終るのだろうか。

国の荒みと滅びは近い。しかしこれを指をくわえてみているニッポン国民がここにいる。国会デモで抵抗する力も減衰した国民市民がポカンと口を開けている。

偽りに偽りを積み重ねた果てに‥

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20年8月下旬アベ首相が退陣を示唆する記者会見を行った。在任7年8か月は歴代内閣でも最長不倒距離らしい。ご本人は歴史に残る記録と自慢げだったが”別に‥それがどうした”との感を持つ人も極めて多いだろう。この国の内閣総理大臣を何年やったということより「国の国民市民のために何を為したのか」を重要視すれば当然のことだ。

統計偽装を背景とした意味不明趣旨不明の「アベノミクス」なるものの7年8か月の「失政の記録」がある(東京新聞200831)。これは数字上の政治の失策を示すが、ワタシはそれと同様に無残なアベ内閣官邸と官僚との道徳破壊の実像に目を向けたい。

「もし治める者が偽りの言葉に聞くならば、その役人らはみな悪くなる。」(聖書箴言29章)とある。つまり為政者が嘘をつき続ければ、為政者のもとで働く役人たちはみんな悪人となるというわけだ。紀元前の箴言の時代もこの哲理が働いていたことになる。この聖書の言葉は、治める者の自戒の言葉として聞くべきなのだろう。

アベ政権下での数多の不祥事の中で、いわゆる「森友学園」問題を取り上げてみる。この学校設立に関してはアベ首相自身と夫人とが関与していた事実は、現在では客観的な証拠が揃っている。しかし事件発端当初に嘘つきアベ首相が「自分がこの案件に関与していたら私は首相を辞任する」とタンカを切ったものだから、官邸閣僚官僚は財務省サガワ理財局長を筆頭に証拠隠滅に全力を注ぎ始めた。首相の嘘一つでキャリア官僚以下卓袱台をひっくり返した如くに狂乱し組織ぐるみで狂奔した。”すさまじきものは宮仕え”である。国会で野党がこれでもかこれでもかと叩き続けても、財務相のアソウは、それもこれも現場の役人がしでかしたことですので私は不承知で、役人たちには今後改めさせるよう指示しました、全く困ったものです‥証拠がありませんからとの捨て台詞を残して遁走しようとし続けた。

こうした流れの中で近畿財務局の職員赤木氏は、本省サガワの指示によってアベ夫人が関与したことを示す記録や財務省の関与を示す記録を全面的に「改ざん」させられた。この改ざんの仕事は彼一人に背負わされた。キャリア官僚は無傷になるようにして遁走した。そして赤木氏はその罪の深さに心を病み自死した。この赤木氏の死は、監察医上野正彦氏によれば、周囲の関係した者たちが一人の人間を追い込み死に至らせた《殺人》である。一人の職員の自死があっても、アベ首相以下、政権中枢のアソウ財務相はじめ関係した財務省官僚は”果てしなく””坂道を転げ落ちるように”歯止めのない「嘘」をつき続けた。この頃「息をすれば嘘」の言葉が新聞紙面を踊っていた。

「疲れて悔い改めるいとまもなく、しえたげに、しえたげを積み重ね、偽りに偽りを積み重ね」(聖書エレミヤ書9) この頃のアベ首相、スガ官房長官、アソウ財務相、そして官僚たちの日常であった。赤木さんの死はその果てに在った。

今日日近畿財務局の誠実で正直な赤木さんを死に追いやったのは、「私は関与していたら辞任する」発言を繰り返したアベ首相や官房長官スガ、財務相アソウ、取り巻きの官僚たちであることを疑う者は一人もいないだろう。赤木夫人の真相解明を訴える訴訟は極めて尊いものである。だが赤木夫人の身辺は危険に晒されてはいないだろうか。斯様な政権だけに気にかかって仕方がない昨今だ。

 

不起立は後世への最大遺物 

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この君が代最高裁判決を知って、ワタシは明治の気骨の言論人・内村鑑三翁の不敬事件を思い起こした。

鑑三翁は明治24(1891)年、当時勤務していた第一高等学校教育勅語奉読式典で、天皇真筆に奉拝(最敬礼)を為さなかった故に、同僚教師や生徒によって批難された。この間マスコミは既に名の知られていた鑑三翁を指弾した論調を掲げ、自宅には汚物が撒かれ生徒が押しかけて暴言を続けるなどの暴力もあった。基督教会関係者も、ごく一部を除いて手のひらを返す如く鑑三翁と離反し政府寄りの主張を繰り返したのだった。いずれも全ては”お上”への恭順を示す迎合だった。

こうしたこともあって鑑三翁の妻・かずは体調を崩し病いを得て同年死去した。この妻の死は、鑑三翁にとって人生最大ともいえる深刻な危機となった。このことは明治26年に発行された『基督信徒の慰』の中に「愛するものゝ失せし時」として記されており、「余は余の愛するものゝ失せしより数月間祈祷を廃したり」と信仰上の危機までもが表白されている。

後年、鑑三翁はこの不敬事件について次のように記している(明治42年10月)。「余は高等学校の倫理講堂に於て其頃発布せられし教育勅語に向って礼拝的低頭を為せよと、時の校長代理理学博士某に命ぜられた、然るにカーライルとコロムウェルとに心魂を奪はれし其当時の余は如何にしても余の良心の許可を得て此命令に服従することが出来なかった、余は彼等の勧奨に由て断然之を拒んだ、而して其れがために余の頭上に落来りし雷電(いかづち)、‥国賊、不忠‥脅嚇(きょうかく)と怒喝‥其結果として余の忠実なる妻は病んで死し、余は数年間余の愛する此日本国に於て枕するに所なきに至った、余の肉体の健康は夫れがために永久に毀損せられ、余の愛国心は甚大の打撃を被(こうむ)りて余は再たび旧時の熱心を以て余の故国を愛する能はざるに至った、‥然し余は今に至り此事のありしを悲まない、余は確かに信ずる、余の神が其時特に余に命じて『コロムウェル伝』<注・トーマス・カーライル(1795-1881)(英国の歴史家)>を購はしめ給ひしを、若し此伝記と此伝記が余に起しゝ此事件なかりしならば余の生涯は平々凡々取るに足りない者であったらふ」(内村鑑三全集16、読書余禄(カーライル著「コロムウェル伝」)、p.509-10、岩波書店、1982)

たかが本であるが、されど一冊の本。たった一冊の本が人間の人生を大きく左右することがある。特に若い時代の一冊の本にそのことが言える。鑑三翁の場合『コロムウェル伝』の神髄が彼を打つことで、天皇真筆の奉拝といった愚にもつかぬ行為を強制されることへの反抗・反発となって表現されたのである。人間として誠実にして真摯、イエスキリストへの信仰を第一義とする鑑三翁の気骨、信仰深きが故の自由人の為せる行動であったのだろう。老年の鑑三翁であったなら、この不敬事件なるものは起らなかったかもしれない‥老年になった鑑三翁はそのように記している。

ワタシは鑑三翁のいわゆる不敬事件と今次の教員たちの君が代不起立事件とは同質の問題を孕むものと考えている。都立高校の教員たちの訴えは、最高裁では敗訴したとは言え、地裁・高裁では勝訴しているのだ。だがワタシはそのような裁判所の判定などよりも、長年にわたる生活の苦難とも闘う結果となった教員たちの、「人間としての誠実、真摯、後世への最大遺物としての不起立を実践した」気骨に敬意を表している。鑑三翁に対する敬意と同様に。

因みに鑑三翁は『後世への最大遺物』(岩波文庫)の中で、どんな人間でも後世に遺すことのできるものは「勇ましい高尚なる生涯である」と記す。

私事、ワタシは高等学校時代(1960-63)、社会科の教師であった小沢三郎先生から一冊の本をいただいた。『内村鑑三不敬事件』(小沢三郎:新教出版社、1961)である。小沢先生が授業の中で内村鑑三に触れた際、ワタシが鑑三翁のことを何度も質問したことが契機となって、小沢先生からいただいた著書である。この本の読後感を求められて、数日後教員室で読後感を述べたことが記憶に残っている。ワタシはそれまで小沢先生が内村鑑三翁や基督教思想のすぐれた研究者とは全く知らなかったのだった。

今次最高裁判決を機に鑑三翁や小沢三郎先生など、様々のことを考えることになった。深い縁を感じている。(この項おわり)

 

校歌歌わず君が代斉唱の珍奇

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新型コロナウイルス感染拡大中の20年3月、東京都立学校全ての卒業式で「君が代」が斉唱されていた。全国一斉休校となり飛沫感染を懸念する学校で、合唱歌や校歌も歌わず卒業証書を手渡す際にも生徒の名前を読み上げることもしない中で、何故「君が代」が歌われたのか。それは東京都教育委員会が実施を指示していたことが背景にある。珍奇な現象である。

君が代」斉唱に関しては長い歴史的な背景がある。「新潟大の世取山洋介准教授(教育政策)は、思想・信条の自由から「君が代」斉唱時に起立しない教職員に都教委が処分を続けてきたことを挙げ、「何百人も懲戒処分してきた結果。歌わないことが合理的なのに、萎縮して判断できない教育現場の思考停止を表している」と話している。」(東京新聞200720)。中京大・大内裕和教授(教育社会学)のコメント。「今春の卒業式で、何よりも「君が代」が大事だというメッセージを子どもたちに送ってしまった。本来、生徒の卒業を祝う儀式が、国家主義イデオロギー注入の場になっている。‥思想・良心の自由を定めた憲法19条を巡って、国歌斉唱の強制は議論されてきた。全校斉唱で新たに、子どもが安全に教育を受ける権利を侵害するという26条についての議論が加わった。」(東京新聞・同)

話は2年前にさかのぼる。ワタシの当時のメモだ。暑気の中次の記事が目に止まった。記事の扱いは大きくはない。ワタシもかつてはこの問題に強い関心を抱いていたが、時の経過とともに忘れかけていたので、あぁあの先生たちはまだ闘っていたのだとの感慨が先に立った。以下記事を引用する。

「卒業式などで「君が代」の斉唱時に起立しなかったため、再雇用を拒まれた東京都立高校の元教職員が、都に賠償を求めた訴訟の上告審判決が(2018年7月)19日、最高裁第一小法廷であった。一、二審判決は都に約5千万円の賠償を命じたが、山口厚裁判長は「都教委が裁量権を乱用したとはいえない」としてこれを破棄し、原告側の請求をすべて棄却した。君が代をめぐる訴訟で、最高裁は2011年に起立斉唱を命じた職務命令を合憲と判断。12年には職務命令に違反した教職員の懲戒処分で「戒告は裁量権の範囲内だが、減給・停職は慎重に考慮する必要がある」との基準を示した。」(朝日新聞デジタル20180720、記事要約)

なぜ君が代を歌うか、なぜ日の丸国旗に敬礼跪拝するのか…ワタシもそうだが、多くの人たちは”皆がそうしているから””何となく”というのが本音である。ところが問題は、国や自治体が「脅迫観念に駆られて」このような行為を強制したり「愛国心」と結び付けたり、”お上にへつらって”その行為を為さなかった者を告発したりチクったりするので、事が迷走する。日本人なのだから件のお得意の”何となく”で行けばいい。

国歌・国旗など形骸にすぎないので、「何となく国の歌になったので歌うもの」「何となく国の旗になったので汚さないもの」程度に放っておけばいい、とワタシは考えている。ましてや「愛国心」のように屁のような空気のような非実体のものを恰も実体の在る如くに強弁し、踏み絵の如くに示す輩がいるのでかなわない。これら輩は「愛国心」を唱えて”お上への恭順”を露わにして、お上からの誉め言葉を待っているのだ。

ここは内村鑑三翁に耳を傾けよう。「愛国とは自身金を儲けて国益なりと世に風聴することなり。」(内村鑑三全集9、p.40、1981.)、そして「我国人の前に愛国心を語る必要はありません。」と記している(同書、p.148)

最高裁長官及び判事の人事権については内閣に任命権があり、高等裁判所など下級の裁判所の裁判官は、最高裁判所が提出する指名名簿に基づいて内閣が任命する。このように、司法の人事権に対して内閣の影響力が強いことが、違憲立法審査との関係で懸念されているところだ。アベ内閣になってより、弁護士会から最高裁判事に推薦された者をアベが拒否してお気に入り判事に挿げ替えた一件は記憶に新しい。よって三権分立の不可侵の威厳を保つべき最高裁判所は、今日日では内閣の下僕と見做すべきだ。だからこのような判決が出続けている。民主主義は危うさから崩壊への道をひた走る。(この項つづく)

妻は安楽死を望んだか‥

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こうした「日本人」であるので、独立した思考で真に自らの問題意識と覚悟をもって「安楽死」法を深く考える人が多く出てくるとは思われない‥ワタシはそう思う。オランダやスイスが法律を制定したのでこれに倣って法律を制定するのが先進国の姿だ、と宣う法律屋や政治屋がいるが、とんでもない錯誤である。

先述のように、無倫理で智慧哲学の不要な法廷の場で勝負師として生活してきた律法家司法家たち、自由主義経済の実践とか言いながら実は強欲と傲慢だけの経済学者や実業家たち、混雑した医療現場の精神的負荷から逃れたいだけの医療者たち、医療介護費用の増嵩抑制の強迫観念に囚われた官吏たち‥‥つまり死の何たるかを胸に手を当てて熟慮したこともない輩たちが、あたかも恫喝するかのような大声で計量カップで人間の生命の価値を計量することの”最高善”を吹聴するだろう。これらの輩にとっては「死」は他人事である。

法案に隠される伏線は”価値の高い人間”と”価値の低い人間”のトリアージである。真っ先にターゲットとなるのは難治疾患をもった高齢者そして‥。表面的でもっともらしい審議の果てに日本人は”何となく”法案に同意し靡いていくことだろう。政権政党はまたまた選挙によって支持されたと宣言し「安楽死法」の最高善を強調するだろう。法案が成立するとどのようなことが起こるのか――想像するだけで恐ろしい。予測される事象に関して具体的に書けと言われれば書くが、法案制定後の医療現場/介護現場/在宅医療介護の現場では、銭函を抱え血だらけの山刀を手にした「悪魔」が跋扈する修羅場となるだろう、なぜならばここは”いつも何となく”物事を決めていく日本人の国なのだから。

                 ※

私自身の体験である。ある日突然妻がスキルスの診断を受けた。妻はおよそ4か月の闘病の末になくなった。5歳と1歳になったばかりの二人の子どもと私を残して妻は天国に召された。この間私は妻には病名を告げなかった。臨床現場では医師に心理的な強制力とともに病名告知が無言の圧力として働いていた頃である。私は妻の苦悶を見ているのが耐えがたかった。妻は苦悶の時間が過ぎると平安の時間が訪れることがあった。この平安の時間の中で私は妻とあらゆることを話した。妻の指と私の指を緑の毛糸で結んでおいて、目覚めて尿意を感じたときには妻がこれを引っ張って私を起こした。私は妻の下の世話を終えると束の間静かな時間が流れ二人で話し込んだ。新婚旅行の時の約束、子どもの将来のこと、妻のいない家での子どもたちの生活ぶり、全治したら行きたい旅行先のこと、ケアする医師や看護師たちの評価‥だが私も妻も病名に関して話をしたことは一度もなかった。私と妻はともに生きていた、妻は十全に悟っていた、妻は知っていた、死を抱き覚悟を決めていた、だから話をする必要もなかった、妻も私に事実を語って欲しくはなかった、そのことを私は知っていた。それは”ごまかし”とはほど遠いフェアーな妻と私の心の往還にもとづく「無言のことば」の世界だった。

妻は「安楽死」を望んでいたのだろうか。それはわからない。呼吸困難が続き失神するほどの苦悶が続いたとき、妻は「安楽死」を望んだだろう、と私は思っている。だがその苦悶が終わった後のひと時には、目の前に二人の子の笑顔があり愛する家族きょうだいの顔があった。絶望的に衰弱した身体の全身が温かい喜びで満たされた。この瞬間に「安楽死」を望んだ自分はいなかった。そんな自分を恥じたか、あるいは「安楽死」の実行をしなくてよかった、と安堵したのだろうと、私は思っている。

私が「安楽死」に関するM某の安っぽくて野卑で物欲しげな権勢欲を嗅ぎつけて嫌悪する理由である。(この項おわり)