KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

妻は安楽死を望んだか‥

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こうした「日本人」であるので、独立した思考で真に自らの問題意識と覚悟をもって「安楽死」法を深く考える人が多く出てくるとは思われない‥ワタシはそう思う。オランダやスイスが法律を制定したのでこれに倣って法律を制定するのが先進国の姿だ、と宣う法律屋や政治屋がいるが、とんでもない錯誤である。

先述のように、無倫理で智慧哲学の不要な法廷の場で勝負師として生活してきた律法家司法家たち、自由主義経済の実践とか言いながら実は強欲と傲慢だけの経済学者や実業家たち、混雑した医療現場の精神的負荷から逃れたいだけの医療者たち、医療介護費用の増嵩抑制の強迫観念に囚われた官吏たち‥‥つまり死の何たるかを胸に手を当てて熟慮したこともない輩たちが、あたかも恫喝するかのような大声で計量カップで人間の生命の価値を計量することの”最高善”を吹聴するだろう。これらの輩にとっては「死」は他人事である。

法案に隠される伏線は”価値の高い人間”と”価値の低い人間”のトリアージである。真っ先にターゲットとなるのは難治疾患をもった高齢者そして‥。表面的でもっともらしい審議の果てに日本人は”何となく”法案に同意し靡いていくことだろう。政権政党はまたまた選挙によって支持されたと宣言し「安楽死法」の最高善を強調するだろう。法案が成立するとどのようなことが起こるのか――想像するだけで恐ろしい。予測される事象に関して具体的に書けと言われれば書くが、法案制定後の医療現場/介護現場/在宅医療介護の現場では、銭函を抱え血だらけの山刀を手にした「悪魔」が跋扈する修羅場となるだろう、なぜならばここは”いつも何となく”物事を決めていく日本人の国なのだから。

                 ※

私自身の体験である。ある日突然妻がスキルスの診断を受けた。妻はおよそ4か月の闘病の末になくなった。5歳と1歳になったばかりの二人の子どもと私を残して妻は天国に召された。この間私は妻には病名を告げなかった。臨床現場では医師に心理的な強制力とともに病名告知が無言の圧力として働いていた頃である。私は妻の苦悶を見ているのが耐えがたかった。妻は苦悶の時間が過ぎると平安の時間が訪れることがあった。この平安の時間の中で私は妻とあらゆることを話した。妻の指と私の指を緑の毛糸で結んでおいて、目覚めて尿意を感じたときには妻がこれを引っ張って私を起こした。私は妻の下の世話を終えると束の間静かな時間が流れ二人で話し込んだ。新婚旅行の時の約束、子どもの将来のこと、妻のいない家での子どもたちの生活ぶり、全治したら行きたい旅行先のこと、ケアする医師や看護師たちの評価‥だが私も妻も病名に関して話をしたことは一度もなかった。私と妻はともに生きていた、妻は十全に悟っていた、妻は知っていた、死を抱き覚悟を決めていた、だから話をする必要もなかった、妻も私に事実を語って欲しくはなかった、そのことを私は知っていた。それは”ごまかし”とはほど遠いフェアーな妻と私の心の往還にもとづく「無言のことば」の世界だった。

妻は「安楽死」を望んでいたのだろうか。それはわからない。呼吸困難が続き失神するほどの苦悶が続いたとき、妻は「安楽死」を望んだだろう、と私は思っている。だがその苦悶が終わった後のひと時には、目の前に二人の子の笑顔があり愛する家族きょうだいの顔があった。絶望的に衰弱した身体の全身が温かい喜びで満たされた。この瞬間に「安楽死」を望んだ自分はいなかった。そんな自分を恥じたか、あるいは「安楽死」の実行をしなくてよかった、と安堵したのだろうと、私は思っている。

私が「安楽死」に関するM某の安っぽくて野卑で物欲しげな権勢欲を嗅ぎつけて嫌悪する理由である。(この項おわり)