KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

「寄り添う」ってか?

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NHKのニュース番組などの締めくくりの言葉、使い方はこうだ「このような被災地の方々の悩みと苦しみに私たちも寄り添っていかなければならないと思います」とか、「事故に遭い苦しんでいる人たちのことを思うとき私たちが寄り添って一緒に考えていくことが大事だと思います」とか、毎日何度もNHKのTVから発せられている言葉だから、例えは枚挙に暇なしだ。

「寄り添って」と聞くたびに、ワタシは一瞬考え込む。そして”わかったような全くわからないような”不思議な思いに陥る。ワタシが無理やり”偽善者”にさせられてしまう感覚になるのだ。つまり結局のところ”寄り添う”ことの本当の意味が解せないのだ。「被災地の人たちに寄り添う」ということは、現実的に被災地に行って仮設住宅に住んでいるその人の傍らにワタシがいてあげることなのか、そんなことは現実的には不可能だ。しかもその人は生活難で苦しんでいるのか、仕事が無くて苦悩しているのか、津波で亡くなった子どもの悲嘆の中にいるのか‥‥苦しみや悩みの中身は人各々で全く異なるだろうし、一般論で片づけることは誠に無礼である。

東京のNHKの編集者が、取材した現地職員の取材感覚や、被災地の人の苦しみや悩みに共感して編集作業をすることは可能かもしれない。だがTVニュースの担当官の書く原稿はそうした現場感覚からは遙かに遠くにあり、結局のところ原稿の締めくくりに”わかったような・わかったふりのできる”「寄り添って」という”無難で”それゆえ人間にとって極めて危険で愚かしい「言葉」で一件落着させることになる。一方視聴者も又”わかったような気になる”。ここではNHKの勝利だ。そしてニュースや番組が切り替わった途端、本人がトイレに立った瞬間、台所でガスに火をつけた途端、寄り添うもへったくれもなくなる、というわけだ。「あぁ、そんなことがあったかしらね」。

こんな言葉の群れを「目くらましの言葉」と言った人がいた。つまり共感をし、分かったようになり、自分が善人になったフリにさせる言葉は、人間を誤魔化すことになるだけなのだから、使うべきではないということだ。それじゃ「寄り添う」という言葉の代りにどんな言葉をつかえばいいのかと問われれば”そんなこと手前で考えろ!”とワタシは言う。

言葉というのは、時には、格闘し悶え苦悶して、ようやく吐き出すものだ。ただ黙っていることが最適な”言葉”もある。

だが心配することはないだろう。NHKには「放送用語集」なるものあり、その”番外編”にて、斯様な「目くらまし言葉集」があるはずだからだ。その中には「私たちは忘れてはならない」とか「共に考えて生きましょう」とか「十分注意していきたいものです」とか‥‥これら定型表現も例を挙げれば枚挙に暇なし。こんな”めくらましの言葉”に騙されてはいけない。

但し、ワタシやあなたが日常会話の中で使い、本当に寄り添うことのできる関係と距離にある場合には、「寄り添う」という言葉は活きてくるだろう。