KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

老者の万引き考

f:id:KANZO-KUN:20200722194355j:plain

『蕨野行』では若い人たちで構成される社会から老者は放逐される。その村での役割は終えたし老者が社会的に機能する場は失われている。農作業する体力も失われたし「ボケ」(日本では放送禁止用語!)てきたし、歩行など日常生活動作も覚束なくなってきて家族の負荷になってくる。家族の単なる「穀潰し」(これも放送禁止用語!)となり放逐されるのだ。しかしながら、その実背景にあるのは飢饉であり領主の苛酷な年貢取立てのゆえの絶対的貧困なのだが。

しかし、しかし、老者たちは生きているし生きていかなければならない。家族にとっては放逐を喜ぶ者はいるし社会規範だからと諦める者がほとんどなのだが、中には老者を家族にとってかけがえのない人間として愛着を抱き老者を放逐することに反意を抱く家族もいるじゃないか‥この小説の著者は決まりきった社会規範や因習に実は同意してはいない。

似たような作品として『楢山節孝』(深沢七郎)がある。これは老いた(小説では70歳)母親を息子が村の因習に従って山中に放置しにいく物語で、母親を敬愛する心優しい息子とその妻が、母との不条理な別離と因習の非情への耐えきれない心情と心の反抗が描かれる。

老者は社会から放逐され親子家族の別離の哀切を描いている点ではこれら二つの小説は同じだが、『蕨野行』では放逐された老者たちのその後の人生が描かれる。つまり老者たちは収穫し争い恋慕し性行為を行い嫉妬し病気になり政治し埋葬し死を体験していく。つまり再び「蕨野社会」を形成しその中で生活していくのだ。小説には”役立たず”になった老者の生の実存が哀しくも情愛豊かにユーモラスに描かれる。”老者賛歌’“でもある。

知人のスウェーデン人から、老者を(若者中心の)社会から排除する因習は近代以前にスウェーデンにもあったと聞いた。かの国では太い棍棒で老者たちを撲殺したのだという。近年遺跡からその棍棒が出土したらしい。さすがバイキングの国、やることが大振りで荒っぽい。

今日日高齢者(65歳以上)の犯罪率は1989年には2%だったものが2019年では22%、検挙された事件のおよそ半数が万引きで、その背景には「貧困」があるという。老者の孤独な生活に「貧困」が追い打ちをかけている今の日本。わが日本にも安楽死法制定の動きがある。この動きも「貧困」と深くつながるのではないか。

しかしこの「貧困」は、トマ・ピケティが指摘するような経済的な富が限られた者たちに独占された結果の「貧困」であり、国家の意思による富の再分配を可能としているから”作られた「貧困」”である。その意味では「万引き現象」は「国家の”思想的”貧困」でもある。

『蕨野行』という作品を手掛かりとして、ワタシは現代日本の老者と「貧困」「万引き」「国家の思想的貧困」「安楽死法案」とのつながりを考えている。 (つづく)