KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

「美しく老いる」なんてくそくらえ! ‥シャバよサラバ!

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娑婆は邪悪と狡猾と猜疑と妬みに満ちている。喧噪と猥雑そのままだし何が正で何が邪かも皆目判然としなくなってきた。ニッポン国アベスガアソウらの漕いでいる泥船政権では、邪を正と言い続け嘘にウソを重ねて幾年月、邪も正であると言い続け暗愚の殿の取り巻きがそうだそうだと諂(へつら)い続ければ、いずれ邪は正となっていく。暗愚の殿が「鹿」を「馬」と間違えたところ、下僕はその直後から「鹿」を「馬」と呼べとのお触れを出した。アベ政権は「言葉」を変えれば「実体」が変わると信じる下僕で構成されている。今や「鹿」は「馬」と称される。そして今日日ニッポンは事実そうなりつつある。アベになってからこのような珍奇が繰り返されている。「意味論semantics」学習の格好の材料だ。

「私や妻が学校の土地取引に関与していたことが明らかになれば私は総理大臣をやめます」とアベ首相は国会の場で言い放った。これは全くの「嘘」だった。しかしアベ夫妻が土地取引に関与したことは客観的な事実であったため、これに関係した部局では、アベ首相に「忖度」して、この発言の直後からアベと夫人が関与した事実を記録した全ての書類の改ざんが、財務省財務局長佐川からの指示で近畿財務局で開始された。土地取引と書類作成に係った財務局職員は直ちに配転され、一人赤木俊夫さんだけが取り残された。赤木さんは財務省本省の指示に抵抗し、真実を曲げることはできないと主張したものの結局は改ざんの当事者となった。赤木さんは後に自死した。

もはや以下は自明の事柄である。即ち近畿財務局赤木さんの自死は、監察医上野正彦氏の見方によれば《他殺》である。《特定の人間たち》が彼を《殺した》のだ。アソウが再調査不要とは笑止!アベ及び夫人はじめ政権幹部、官邸や官僚の輩は安眠できるのか!「やましさ」を感じないのか!「社会正義」をも殺すのか!邪を正としてはならない。邪は邪である。赤木さんを《殺した》輩たちの罪は深い。

“正義の味方”であるはずの国家の司法機関である検察も、政権に媚び政権の利得のために尽すことが伝統となり果てた。”犯罪”を犯した国会議員を庇護して正邪も有耶無耶にし、性犯罪者のジャーナリストの逮捕状を握りつぶし、政権に訴求する事案を全て隠蔽しているニッポン国司法機関検察庁‥何のことはない、アベ政権の傷口をなめて検察は働き、論功行賞を待つ組織となり果てた。誰が見たって検察もウソの万華鏡。

国会議論も空虚にして白け陰隠滅滅の様相、アベは訴求されるのが恐ろしく国会にも出席できない日々が続く。国会は議会制民主主義の柱を失おうとしている。

何が民主主義だ、何が三権分立だ、そんなものニッポン国には既に存在していない。しかし、しかし、これらニッポン国宰相以下”民主主義のルールに則って”彼らを選択したのは誰なのか‥結論は結局のところ此処にたどり着く。

 

輿論は神の声なりと意(おも)ふは非なり、神の声は常に輿論に反対す、昔時の予言者は皆悉く輿論の反抗者なりき」と内村鑑三翁は記す。

TV新聞は正邪を「世論調査」の結果で判定しているらしい。しかし通信新聞TV企業の「世論調査」はいかがわしく滑稽でもある。「あなたはアベ政権を支持しますか?」と電話で新聞社から問われて「支持しません」と回答した途端に電話が一方的に切られた、という話を知人から聞いたことがある。こうした「操作」をして誰が利得を得るのか?政権政党か?いや違う。大手広告企業である。だから作られた「世論」がニッポン国を人間社会を滅びの方向に導いているとワタシは断じる。

鑑三翁が「神は世論に反対している」と記しているのは大きな理由があるわけだ。世論という「虚」。今日日これが娑婆の現実である。くだらない。

 

認知症の人は社会の中で専門家や行政官やその他の関係者からスティグマを押されて「出口」のない世界に孤立しているかのようではある。しかし認知症の人は「人間の実存」「人間のもっとも根源的な世界」に一番近いところに居住しているからご康心いただきたい。操作された「世論」に嬉々として依存し、国の機関でウソをつき続け白を黒と言い含め続けるような輩とは違って正直に「生きる」人たちなのだから。邪悪と狡猾と猜疑と妬みに満ちている娑婆のことなぞ何が起ころうと知るものか!

《…「普通の人」「健康な人」は、ただ生きること(‥‥)がむずかしい人たちです。「あなた」ならできます。「普通の人」ができなくて「あなた」にできる。一寸愉快ですね。それは「豊かな国日本」のあり方に対する最高の警告―挑戦なのかもしれません。「あなた」はもしかしたら豊かさにうかれているこの国の人々の「救い主」かもしれません。だからしっかりと立っていて下さい。「あなた」の「存在」自体が、何かへの「怒り」です。「美しく老いる」なんてくそくらえ! この「志しを忘れた国日本」の生証人として、「あなた」は何もせず、ただ生き続ければよいのです。それがすべてです。私もやがて「あなた」の後を追います。浜田晋 見知らぬ「あなた」へ》(浜田晋:老いを生きる意味.p.222、岩波書店、1990)

認知症の人は「志しを忘れた国日本」の生証人なのですぞ、世のニッポン人よ!控えおれ!