KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

「就職氷河期世代対策」の虚!

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自民党コイズミ政権(2001-06)下では、「構造改革」つまり官から民へという「錦の御旗」のもとに、労働者派遣法の規制緩和を実行した。これには自由主義経済学者(?) タケナカヘイゾウが国務大臣として深く関わった。タケナカはその後平然として大手派遣企業の黒幕として居座り、アベ政府ブレーンとしてヘタレ政策の一翼を担ってきている。そう言えば当時タケナカは論文偽造疑惑で”御用学者”と指弾されていたな。恥を知らない人間だ。権力への野望と強欲に目がくらんだこれら輩は、人間を尊ぶ社会を作るためのセーフティネットを闇雲に破壊して恥じるところは、ない。

この規制緩和は「非正規労働者」の採用を激増させる引き金となった。正社員の新卒一括採用といった雇用慣行や、非正規雇用拡大政策などに翻弄されて就職が決まらないまま卒業した人は、2000年には約12万人に上ったという記事があった。ワタシは直近の「労働力調査」を調べてみた。1990年には「非正規」870万人・「正規」3,473万人で「非正規」が全労働者に占める割合は20%、2019年では「非正規」2,090万人・「正規」3,445万人で同割合は37.8%にも上っている。

雇用形態はこの間”激変”した。これによって日本の労働者の人たちは、より一層の”幸福感”を抱き生活してきただろうか……。ワタシは周囲を見回し生活している人たちを見ながら断定する――決して幸福感を抱いては来れなかった、と。

ワタシは非正規労働(者)そのものを問題にしようとは考えない。そうではなくて本来正規労働者であるべき人たちが非正規労働者として働き、低賃金や賃金格差及び不安定な労働条件下に置かれていること、景気回復後も企業は正規労働者の採用を減らし内部留保が急増してきたにもかかわらず、収益を労働者に還元してこなかったことが問題なのだ。富を持てる者のそれは増大し続けるという"強欲”が生活哲学と堕したアメリカ産業界に象徴される資本主義の悪しき落とし穴だ。日本独特に生まれた淫靡な企業風土もあり、その結果日本では派遣切り、ワーキングプア問題という悲惨を再生産し続けて来ている。

このような労働力の偏った流動化が産業の空洞化、つまり優れた人材の払底、技術開発力の低迷、労働者の働く意欲と能力の低下、何よりも人々の間の経済格差をもたらしてきたと指摘する識者は実に多い。日本をダメにしたのは規制緩和の名のもとに非正規労働者を激増させたコイズミからアベに至る政府の失政と喝破する識者がいるのも当然である。

就職氷河期」というのは、バブル経済がはじけ景気が後退した頃に就職に直面した世代の人たちを言うが、この世代の人たちは、上記の理由から就職がままならず、十分な能力を身につける機会もなく、非正規雇用など、安定した職業に就けていない場合も多い。そして社会経済的な問題がこの世代には突出している。

この人たちの立場に立って考えてみると、就職のつまずきから自信を失い、ニートや引きこもりに至ったケースが多い。2019年3月に公表された調査(内閣府)では、40~64歳の中高年で引きこもりの人は推計61万3千人に上り、若年層(15~39歳)の約54万人を上回っている。きっかけは「退職」の36%が最多で、非正規雇用などの不安定な雇用状況と政府の失政が背景にある。

ここから本題、というか結語。アベ内閣は2019年6月初旬、”突如として”「就職氷河期世代」の集中支援策を「公表」した。予算の裏付けや詳細な施策を伴っているわけではない。今さら何を…と評価する新聞報道もあり、政府のこの施策への関心や期待は薄いらしく、記事の追跡もほとんど見かけない。なぜなのだろうか。 

その理由は、政府が打ち出した集中支援策の中身にある。即ち①都道府県と経済団体、人手不足の業界などが連携する新たな枠組みの創設、②都道府県ごとの実施計画・目標の設定と、支援の進み具合の点検、③就労支援のノウハウを持つ民間業者への教育訓練の委託…などをうたっているが、まるで空虚である。腹を据えて責任をもって実行しようとする意思は見えない。これをアベ内閣は胡乱(うろん)な政界用語「骨太云々」とか称しているから笑える。稚拙な作文で、明らかに「選挙対策」のために拙速で作られたものであることがよくわかる。あまりに空虚だから新聞の追跡取材の価値もないわけだ。

 頻繁に嘘をつく政府が、口先だけの国民を愚弄する斯様な「御為ごかし」政策を選挙対策用にまたまた打ったのだ。国民に対して”強い”責任を意識していないから、この「就職氷河期」対策なるものも「作文」と「空砲」とワタシは断定する。過般の「認知症対策大綱」も、策定計画の中身が杜撰との指摘を受けたのでひっそりと取り下げようとしたではないか。

ここには国の根幹を構成する施策への「責任意識」は皆無である。内村鑑三翁の言を聴こう。

華族富豪の子弟の内に狂人に類したる、権衡(※バランス、つり合いのこと)を失ひたる人の多きは、是れ亦同一の理由を以て説明する事が出来る。人生貴きものにして責任観念の如きはない。是れありて人は重味附けられて、知能を磨き品性を養成するのである。責任なき者は底荷(バラスト)なき船の如く、常に人生の波に漂はせらる。」(内村鑑三全集30、p.412) 

……華族とか富豪の連中の中に、物事に対する平衡観念を完全に失っている人が多いのは、一つの理由で説明できる。人間の人生にとって責任観念ほど重要なものはない。責任観念があってはじめて人間は人間らしくなり知性や品格が出て来る。責任観念のない者は、船の底荷のない船のようで人生の波をふわふわと漂っているだけだ。……

アベ内閣の"政策責任者たち"はこの言を何と聴くか。心あるならば心で聴け。