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内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

ゲソ政治家‥日本の不幸

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イカのゲソは昔は捨てられていた。マグロのトロ、カツオのハラガワなども同じだった。ところが江戸東京の人口が増えてきて捨てるのは勿体ないと気づいた魚屋あり、食してみたところ食えないことはないとされ今では珍品とも高級品ともされて大手を振って歩いている。人間の舌もいい加減なものだ。しかしどんなに気張ったところで、たかがゲソ、トロ、ハラガワで「本物」にはかなわない。今様の政治家のごとくである。

病人が出ても医者にかかれないような貧しい生活を何とか克復するために、雪深き寒村を脱出して政治家を職業として志を立て、労苦を重ねて政治家になったような者には心に「熱」があった。生活に難儀している人たちに対する「愛情」「責任感」が強い。彼らは「本物の政治家」になった。功罪あるが越後の柄の大きな田中角栄を思い出す。田中は何よりも戦争を嫌悪していた、そして日本国憲法を能く理解し尊重していた。田中は政治を実務と考えていたから「美しい国‥」などと気色悪い虚言を吐かなかった。何よりも日本及び日本人を愛した。日本政治のあり方「理念」を抱いていた。日本は日本なりの国際社会での生き方がある、田中は列島改造を言いながら、このことを確信していた。人間が大きかった。しかし無念なことに脇にスキができて軍産国家アメリカの罠に嵌った。

これに対し祖先やオジイチャンや親のご威光でカバンカンバンジバンが整えられた上に乗っかって、のほほんと政治家となった七光り盆暗(ぼんくら)政治家には、驚くほどに「熱」「愛情」「責任感」がない。学校も裏口ときているから知的に訓練されることもなく、大学に入っても日本国憲法全文を真摯に読むこともない――つまり「ゲソ政治家」の誕生である。彼らにとって政治は実務ではなく口先だけの虚業である。

今の政権政党国会議員の多くは七光りのゲソ政治家である。官僚組織は政策を立派に作ってくる。政策戦略は大手広告代理店が党本部と内閣府合同で作り上げる。選挙対策まで大手広告代理店の手中にあるから手を汚さずともよい。ゲソ政治家は個々の政策への着眼もなく関心は薄く昏い。国会での政策論議は官僚がぴったりと横についているのに、すぐに「小さな我(が)」を見せようとするから、しばしば間違える、立ち往生し、そして苦しまぎれのウソをつく、ウソの帯は幾重にも重ねられる、そして取り返しのつかない所に着地する。すると手のひらを返したように「それらは全て官僚たちの為したことがらですから、代って答弁させ責任を取らせます」となる。官僚たちが徹底してへつらうのは当然である。その後ゲソ政治家は政治の責任についてはとぼけ通す。「どうせ愚かな民のことだ七十五日もすれば忘れるに決まっている」とベロを出しながら七十五日を待ち続ける。そして事実そのウソを全ての者が忘れる。ゲソ政治家の勝利、というわけだ。

国会委員会審議はボロ出しが怖いから開催しない、ゲソ政治家は大手広告代理店に言われるがままに大手新聞社TV企業のトップらとメシを食う、タレントと遊戯にふける、その映像がネットTVで配信される。

日本国憲法全文の理解もできないくせに自分の専売特許のように「憲法改正」を廃品回収車のスピーカーのように繰り返す。これしかセールスポイントがないからだ。だが現今与野党憲法改正の議論に乗ってくるはずもない。そこを彼は百も承知の上で「憲法改正」をあたかも”高度な高級な議論”であるかのように叫ぶのだ。憲法改正の議論に乗ってこないのは野党のせいだと言い出し選挙の点稼ぎを始める…自作自演の幼児劇である。政権政党内でもせせら笑いの声も聞こえる。これが日本国アベ首相。

こんなゲソ政治家は、国民に対する「責任感」が乏しく、ましてや百年の国家の計など思いつきもしない。彼らは政治家というよりサラリーマンである。それも才能や能力や智慧や志の幅から言えば「初級管理職」どまり。だから政治が「安っぽい」。ゲソは下足とも書くが「下足政治」つまり捨てていいようなちまちました政策に狂奔して恥じない。小学生の子どもにも気づかれるようなウソを平気でつき続ける――幼稚なのだ。

ワタシは学生時代まではそれなりの志をもって政治家を職業として選択すべく、別名政治家養成所とも言われたサークルで活動をした。政治家秘書の真似事もした。友人先輩後輩には国会議員地方議会議員知事なども多くいる。しかしワタシ自身は「とてもじゃないが政治家には自分は不向き」だと判断して政治家となる志は捨てた。爾来友人先輩後輩の政治家などを沢山見てきたし、何十年の交流もあった者も多い。しかしワタシは心底彼らを「人間・友人」として信用したことはない。彼らを利用した事もないし便宜をはかってもらったこともない。そして今日まで彼らをじっくり観察してきた。そう、彼らは「初級管理職」サラリーマンそのままである。

やや違う所と言えば、多額の歳費を懐にしエリート官僚をアゴで動かせるので、人生哲学の基本的な部分で大きな勘違いをし錯覚を繰り返すことと、その結果権力とゼニの匂いを強く好む性分の持ち主へと変貌する。全体小人である。そしていつも小心でありながら抜け目がなくへつらい上手の人間として養殖されてきた。

恐ろしいことにその「ゲソ政治家」の器がさらにどんどん「劣化」してきている。目もあてられない。「劣化」は英語でDegradation、訳は「低落、下落、堕落、頽廃、退廃、退化、分解、変質」などとある。そのとおり、アベアソウスガはじめ日本の今の政権政党の政治家たちにはこの日本語訳がふさわしい。

明治から昭和を生きた基督者にして言論世界で影響力の大きかった内村鑑三翁は、政治家についてこう記している。

「国を治むる事は左程の難事にあらず、難事とは蓋(けだ)し我意を支配するにあり、慾を抑ふるにあり、位を軽んずるにあり、心の富を楽んで身の栄光を耻(はじ)とするにあり、英傑は政治家の中に求むべき者に非ずして反って小農小賣の間に尋ぬべき者なるは全く之が為めなり。」(内村鑑三全集8、p.70)

……政治家や行政官など国の運営にあずかる人間の仕事なぞ、大して難しいことじゃない。本当に人間にとって難しいのは自分自身の意志と我欲をコントロールすること、組織の長などの地位に執着しないこと、心が豊かであることを楽しみ叙勲などの授賞を心から恥じること、そういった精神的な高さを保つことこそ難しいのだ。傑出して優れた人間というものは政治家のような人種におらずに、むしろ農業や商売人といった市井の人の中にいるものだ。……

この部分は以前にも引用したことがある。