KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

”世論”の虚

 

f:id:KANZO-KUN:20190619101616j:plain

内村鑑三翁の言である。

輿論は神の声なりと意(おも)ふは非なり、神の声は常に輿論に反対す、昔時の予言者は皆悉く輿論の反抗者なりき、人類何者ぞ、聖書に曰くエホバ天より人の子を望みて悟る者、神を究(たず)ぬる者ありやと見給ひしに皆な逆(そむ)き出て悉く腐れたり、善を為す者なし、一人もなしと(詩編十四篇二、三節)、神を反き去りし人類の輿論は神意を伝ふるものにあらず、吾人は神の言たる聖書に聴くべし、悪人が多数を占むる社会の輿論なるものに従ふべからず。」(内村鑑三全集13、p.122)

‥‥世論は神の意志だと考えるのは間違いだ、神の声というのは常に世論とは対極にあるのだ、かつての預言者は皆世論に反抗した者たちだったではないか、聖書詩篇(14篇)には「主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者があるかないかを見られた。彼らはみな迷い、みな等しく腐れた。善を行う者はいない、ひとりもない。」とある、神に背いた人類の世論は神の意志を伝えるものではない、私は神の言葉である聖書に聴き、悪人が多数を占めている社会の世論なるものに従うことはない。‥

基督教の信仰の有無にかかわらず、鑑三翁の言には傾聴すべき深い真実が込められている。

大手新聞TVがせっせとやっている「世論調査」なるものをワタシは信用していない。何故信用しないかと問われれば、大手新聞TV企業の間の調査結果内容が”大きく”異なる事実だけで説明できる。例えば典型的には、「アベ内閣を支持しますか支持しませんか・それはなぜですか」の質問に関して言えば、①エヌエッチケイニッテレフジサンケイヨミウニッケイジジツウシンは「アベ内閣の支持率は揃いも揃って異様に高く」、②マイニチアサヒティービーエステレビアサヒキョウドウツウシンは「①に比して低い」からだ。この事実は何処でも彼処でも言い回されていることだからここで議論しても詮無いことだが、「内閣支持率」なるものが①と②で常に異なる結果が出ているということは、これらの数字は「何らかの操作が行われ・バイアスが掛けられている」ということは事実だ。設問の内容、電話(固定・携帯)の方法による違いもあるだろうが、それにしても”常に毎度”①は現政権への支持率が高く出ているのはどういうわけか? 

そしてこれら新聞TVは、斯様な胡乱な「世論調査」を前提として論陣を張っている。これは「欺瞞」である。何故と問われれば答えよう――そこに「真実」を探る眼、そこから先の本当に大事な事柄を考える力が覆い隠されてしまっているからだ。

何が世論なのか、世論はいつも「正しく」「公平で」「公正で」「真実」を示しているのか? 報道する者たちは、常にそうした視点から記事を書き報道しているのか? ――ワタシは決してそうは思わない。社会公器の旗を掲げて(それは勝手だが)公共放送と公言して憚らないエヌエッチケイなどは特に悪質である。”いつもあなたに寄り添って”とか意味不明不気味な常套句を吐き続けるこの”公共放送”は、幹部人事まで丸ごと政府の手が伸びていて、「無謬性」を謳いながら強権政府の言いなりになりへつらい、「誤った」報道内容によって視聴者を政権支持へと巧みに誘導している。エヌエッチケイの利得は身分保存にある。

視聴者をブタの群れのように見なし奈落の海になだれ込まそうとしている。かつての戦争も斯様な報道が国民を愚弄して誘導し、戦争に突き進んだことをワタシは忘れていない。

鑑三翁はこのようにも述べている。

「平和の貴きは其回復し難きに存す、衆愚の声に聴いて濫りに之を破り怨恨を千載に遺す者は禍ひなるかな。」(内村鑑三全集13、p.262)

‥‥平和の尊さは戦争の災禍を体験してわかるものだ、一旦戦争を起こしてしまうと取り返しがつかない。衆愚の声に頼って平和を破綻させ怨恨を後世に残す者は災いである。‥‥

こんな記事をたまたま目にした。

《今、固定電話に世論調査の電話がかかってきた。コンピュータ音声で番号を押して答える方法なのだが。「衆参同時選挙になった場合、選挙に行きますか?」→「行く」、「自民党に投票しますか?」→「しない」、「現内閣を支持しますか?」→「しない」。プー(突然切れる)、何これ⁉️」「朝日新聞には、世論調査の方法についても詳細が公開されているのでわかる。読売新聞の最新の調査では、有効回答数すら公開されてなかった。」》

このツイッターの投稿内容が「事実」かどうかはワタシには確認の仕様がないが(「フェイク」の可能性もないではない。これは同種の事実を経験した人が相応の数が居ることが必要だから)、ワタシは”十分あり得る事”と今考えている。