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内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

如何様(イカサマ)政治が蔓延中・その3

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斯くして日本の世はイカサマ政治が蔓延中である。

トランプを観光客として招き相撲ゴルフ炉端焼きそして新天皇拝謁、1兆円!以上にも及ぶ何百機もの戦闘機の爆買いなぞは、軍産国家アメリカのたぶらかしに長けた優秀な営業マントランプに媚びた結果というから無残である。イージスアショア数千億の配備も決まっていない…愚かな民はこれで俺に味方してくれるだろうとばかりの接待政治、諂(へつら)い政治だからワタシも気持が萎える。イランに行くって?凡庸な暗愚の殿は何を手土産に?どうせODAだろう、でも何をしに行くのだろう、イランは百戦練磨役者が何枚も上手であることを承知の上だろうな?これも選挙対策か、あぁ!

Perhaps no world leader has been as assiduous in flattering President Trump’s ego as Shinzo Abe. 「おそらくシンゾー・アベほどトランプ大統領に媚び諂う指導者は世界にはいない」。ワシントンポスト紙(2019年5月23日)の記事を見た。ごく当たり前の適正な評価である。イヤイヤこの方は「指導者」なぞではありません、人間としてはただの幇間なのです。

しかし、しかし、こんな政府や内閣総理大臣を選んだのは我等日本人。国は間違えないもの…との幻想に浸り続け、寛大なのではなくただの怠惰に身を委ねる茹であがったカエルのような日本人だ。イカサマ政治を許している日本人!

鑑三翁は往時痛烈に日本及び日本人を指弾している。鑑三翁は「時勢の観察」として次のように記す(明治29年8月)。

「日本人は理屈上私徳の真価を知る、然れども実際上敗徳の政治家を許し、彼をして其位置を保たしめ、或は若し一時の恥辱に陥らしむる事あるも社会は躊躇せずして再び彼を迎へ、私徳の欠乏の故を以て彼の社会上の勢力を奪はず、寛大なるは実に日本人なるかな。…政治家の私業を政治問題外に撤去するは日本国民の一特徴なるが如し。云々」(内村鑑三全集3、p.228)

日本人は背徳の政治家に甘い、見て見ぬふりをして結局のところその背徳を放置する。そしてその政治家を選挙で再び選出する。外国に行きたーいとダダをこねる森友学園元名誉校長のアホ嫁を連れて国費で外国を遊びまわっている内閣総理大臣が、毅然とした姿勢が期待される政治家らしい仕事をしていなくても、多くの日本人はそれを許している。何も言わない。倫理観念に疎いのは政治家含めた日本人の特徴…と鑑三翁は言っているのだ。

藩閥政治の色濃かった明治の時代に鑑三翁は日本及び日本人をこのように嘆じていたのだけれど、さてそこから日本及び日本人は良く変わったのだろうか…胸に手を当てて考えてみた。しかしながら今日日ワタシは、政治家の私徳を政治問題の外に撤去し、哲理なくすぐに「忘れ許す」日本人の性分を現実のものとして見ている。

「国の滅(ほろ)び」とは斯様なことを言うのだろうと、ワタシは思う。政官民こぞってブタの群れの如く崖を落ちていくのか。

 

 

如何様(イカサマ)政治が蔓延中・その2

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 国会予算等委員会でこれら政権政党議員が雁首を並べて出席する場面があるならまだこれらの嘘を追跡することができるが、今日日これら委員会審議自体が開かれていない。90日以上にもなるそうだ。こんな道理に欠けることを為す政権とは何者なのか。その理由を友人の元新聞記者に聞けば、参議院議員選挙を控えて内閣総理大臣以下手前らの「嘘」「失言」「妄言」「虚言」「脱線」「暴言」が怖いのだという。つまりこれら言動によって野党の追及が激しくなると参議院議員選挙に影響を及ぼすので開かないのだと言う。あぁ!日本政治無残なり。

その一方で政府からは唐突な迎合政策が並べ立てられて、新聞TVは無批判に大きく取り上げる。審議する場もないから政権政府与党の思う壺だ。その耳障りのよい政策(というよりプロパガンダ)とは以下に代表される。

「政府の認知症対策の大綱案…70歳代の発症を10年間で1歳遅らせる、70歳代の認知症の割合を10年間で約1割、6年で6%減らす、発症や発症後の進行を遅らせる予防の取り組みを推進」、「中央社会保険医療協議会は…血液がん治療新薬「キムリア」の保健適応を了承。対象患者は数百人とも、1回投与の価格が3349万円で1回当りの薬の価格としては最高額。」

これらが突如として出されたから選挙対策以外の何ものでもないことは誰が見てもわかる。それが見え透いていて、今の政府の政策ブレーンも愚かである。選挙対策「空砲」発射!というわけで素っ裸の尻が丸見えだ。

WHOが2012年にDementia;a public health priorityという出版物を出して、認知症に関しては公衆衛生学的視点から緊急課題として取り組むべきとして各国政府に緊急対策を促した。時間はかかるが全く実現可能な革新的な提言だったと思う。そこで今次認知症対策を打ち出した政策ブレーンに聞きたい―今次政策実現のためのプロセスを示せ、使える社会資源を具体的に示せ、2015年新オレンジプランとの整合性は何処にある、1割とか6%という数字はどんな根拠で出されたのか、予防取組み推進とは具体的に何か、等々。

選挙狙いで不意を突いて出てきた政府の「認知症対策大綱」を、専門家識者は「アホか」と一笑に付している。ワタシも保健医療に関しては素人ではないので、この大綱なるものが実弾抜きの空砲であることは直感した。空砲でも耳をつんざく発射音だけはデカい。中身があるというならば、それを示してから発射せよ。

選挙対策とは言え誠に「イカサマ」としか言い様がない。無残で酷いハナシだ。超高価な新薬の突然の承認も今までの経緯からすれば審査経過を公開してから公表するのが筋だ。財布の手元資金を一顧だにせず、日銀と結託して日本企業の株式を買い続け万札を増刷し続ける現今政府の”なるようになるさ”式のアナーキーが露呈してきた。ツケは次世代に回る。

如何様(イカサマ)政治が蔓延中・その1

 

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「国民を信ぜざる亦信ずる能はざる退縮的の政府が、自己の衰亡と共に国家の壊頽(かいたい)を助けつゝあるは歎ずべきかな。」との言は、愚かな政府を戴いている今日日の事柄にあらず、内村鑑三翁が明治31年6月に『東京独立雑誌』第2号に記した記事である。

 

鑑三翁は、国民を信じないし信じることもできない小心翼々の政府が、百年の計なく思想なく力もないために国が壊れて衰退していくことになるのは実に嘆かわしい…と述べているのだ。鑑三翁が発言した頃とは時代背景が異なると言えばそれまでだけれども、この言は現今の日本の政府の姿にそのまま当てはまる。

そして思い起こした。「もし治める者が偽りの言葉に聞くならば、その役人らはみな悪くなる。」(聖書箴言29章)とある。つまり為政者が嘘をつき続ければ、為政者のもとで働く役人たちもみんな悪しき人間となるというわけだ。この言も又現今の日本有様にそのまま当てはまる。紀元前のソロモン王箴言の時代にもこの哲理が働いていたとは驚きだ。だから聖書はすごいのだ!

 

それもこれも現場の役人がしでかしたことですので私は不承知で、役人たちには今後改めさせるよう指示しました、全く困ったものです…森友加計イラク南スーダン等事案の推移を見ていて、上記「箴言」の哲理を示す現実が今の日本の目の前にもあることをワタシは知る。役人の中に責任意識の強いまともな人がいて自死してしまっても国会予算委員会で無視し続け、「嘘」を息の如く延々と吐き続ける政権為政者たちの言動に、怒りを通り越して嫌悪感を抱えているのはワタシばかりじゃないだろう。政権野党まで嫌気がさしている気配がある、だとしたら政治世界は闇となるのでヤメてくれ。

 

新聞TVの取材記者たちも同じなのだろうか。イヤイヤ日本の公共放送局は嫌悪感どころか嬉々として政権政党為政者への諂(へつら)い報道を繰り返している。最近それがひどくてワタシの精神保健に悪いのでこの公共放送局の番組は一切見ない。でも聴取料金だけは自動引き落としになっているので、オカシイオカシイといつも思っている。公共放送を見なくても錢は払わなければならないのだろうか?

それでもトランプに委ねるという愚

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 森本あんり氏(国際基督教大学)は、アメリカという国の”精神の塊り”に関して『反知性主義』(新潮選書、2015)という本を著している。森本氏はアメリカの一つの宗教的伝統としての福音派キリスト教徒のことについて記しながら、アメリカ人に巣食っている精神の塊りとしての「反知性主義」という感情的で肉体的な感情をもとに判断する思想の歴史的起源と推移について触れている。とりわけアメリカにおける反知性主義の伝統は、創生神話をもたない新しい国アメリカならではの健全な民主主義の一要素としても考えられていて、知性(知的集団)とエリート(establishment)と政治権力が結びつくことによる危険性に対する”大衆の反感”が根底にあることを分析しつつ、アメリカ最大の信者数を有する福音派キリスト教徒の人たちが「反知性主義」と称される思想を支持する人たちの層と一致するとしている。

森本氏は遠回しにこの「反知性主義」がトランプを選ぶ素地にあったことを認めている。なるほどこんな分析や考え方もあるのだった。

アメリ福音派の数十万人もが集まる集会の模様をTVで見たことがある。大群衆が大音響の音楽に歌い踊る熱狂の様にワタシは啞然としたものだ。

 

アメリカのあの「華氏119」の映画監督マイケル・ムーア氏が、大統領選挙の前2016年7月に「ドナルド・トランプが当選する5つの理由」という記事で、次のように述べていたという。「この浅ましくて無知で危険な、パートタイムのクラウン(道化師)兼フルタイムのソシオパス(社会病質者)は米国の次期大統領になるだろう。さあ、みんな、“トランプ大統領”と言ってみよう。これから4年間そう呼ぶことになるのだから」。マイケル・ムーア氏はまるで預言者のようだ。

 

ドイツの首相アンゲラ・メルケル氏は政敵の一人が次の首相になるとしたらどのようなアドバイスをしますかという質問に対して、このように返答したという。「痛きに先だつのは驕(おご)り、つまづきに先立つのは高慢な霊」(※ルター訳聖書、箴言16:18)、(アンゲラ・メルケル松永美穂訳:わたしの信仰 キリスト者として行動する.新教出版社、2018) つまり「驕りの心で臨めば失政が待つぞ、高慢な心で臨めばつまづくぞ」というわけだ。EUで面目躍如たるメルケル氏が訪米したとき、握手のためにメルケル氏が差し出した手をトランプが外した映像を見たことがある。トランプは幼児のようだった。大国のリーダーにも見識・器量・資質・才能・責任意識には大きな落差があるのに驚愕する。

 

日本の内閣総理大臣以下官房長官閣僚らについてはどうかって? これらは理念の脱落した腑抜けた輩なので、語るのも憚られる。

 

「人間には、病的な権威によって確立された非人道的な規則に従う傾向があることは、いくら強調してもし過ぎることはない。」(エリザベス・ミカ:バンディ・リー本、p.289)

恐ろしい予感がする。何とかしなければ。 (アメリカとトランプの項終わり)

トランプ・エフェクト―悪性感染症の伝播

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アメリカ人の集団的精神がトランプを生む(大統領に選出される)下地となっているという考え方はワタシにも理解できた。だが一方でアメリカの民主共和の二大政党政治体制や選挙プロセスにも問題はあるのだろう。トランプが大統領選で獲得した選挙人は304人、敗れたクリントンは227人、ところが総得票数ではこれが逆になり、クリントンが48.1%、トランプは46.0%で、クリントンが286万票多かったのだ。この総得票数についても、トランプは選挙妨害かフェイクであると語った。

選挙の総得票数と選出された議員数が整合しないことについては、日本でも同様の現象が起きている。民主主義を尊ぶという精神に立つとすれば、選挙区制度そのものの議論が日本でも真摯に検討されるべきなのだけれど、日本の現今の政治風のもとでは困難だろう。 

トランプが「アメリカの新聞TV報道はすべてフェイクだ!」、「大統領選挙へのロシア介入など無かった、報道は陰謀だ!ウソだ!」、「ヤツは法螺吹きで誠意がなく噓つきだ!」と毎日早朝から夜中までツイッターで速射砲のようにひたすら連呼し続けると、それを聞いている者たちは、”ひょっとすると報道はトランプが言うようにフェイクかもしれないな”とか、”ロシアとは何もなかったのかもしれないな”と思い始めてしまうものだ。哀しいながら人間とはそういうものだ。そして飽き飽きしながらもこう考え始める”何しろ彼は国を代表する大統領なのだからね、ウソを延々と言い続けるはずはないよ”…と。 

また新聞TV議会も、本件を連日のように様々な角度から取り上げるたびに、「問題はありません」「そういう事実は確認されませんでした」「誠心誠意答えております」とトランプ代弁報道官(日本ではなぜか薄汚れて貧相で詭弁が得意の官房長官)が繰り返し繰り返し返答すると、攻撃する野党も報道記者も取りつく島もなくなってノレンに何とやらという具合で、嫌気に襲われてしまう…人間(社会)とはオカシなものである。 

ウソという盤石な防禦壁を固めで敵が嫌気さすのを待つ・愚民は七十五日も経てば忘れるよ、とばかりベロを出しながら文字通りの女房連れての外遊ゴルフ三昧…あぁ、この映像は、日本国でも全く同様だったな、あのモリカケ。 

バンディ・リー本では、「トランプ・エフェクト」として一項目をさいて、トランプの行為・言動の「邪悪」「ルール無視」「差別」「嘘」…といった「反道徳・非道徳」が、社会に酷い悪影響を及ぼしつつある事実を多くの寄稿で明らかにしている。トランプはアメリカ社会の中に、道徳頽廃という悪しき感染症をじわじわと伝播させつつある。 

このことはそのまま日本の政治世界で現行内閣総理大臣官房長官閣僚らの言動と見事に一致していて、恐らくは総理大臣官房長官以下の輩は、”あの大国アメリカの大統領が堂々とやっているのだから、オレたちにできないことはない”と“トランプに勇気づけられて”やっているに相違ない。核も傘の下、非道徳・反道徳もトランプの傘の下、というわけだ。まさしく日本への「トランプ・エフェクト」である。そして日本でも、「反道徳・非道徳」の悪しき感染症が底流となって伝播しつつある。 

トランプという代償解毒剤…

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どうしてこんなヤツ”such a terrible guy”をアメリカ国民は大統領に選んだのか――。

ふと大統領の就任演説を聞くために、全米からバスを駆って何日もかけて集まる何十万ものアメリカ国民の群れを思い起こした。トランプに限らずオバマのときもそうだった。これはワタシには信じがたい光景だ。任意で就任演説を聞きに行くにせよ、党支部やその他の団体による動員によってワシントンに馳せ参じるにせよ、ワタシにはその熱狂が理解できない。こうしたアメリカ人の精神の底にある”精神の塊り”とはどのようなものなのか。

バンディ・リー本にはその疑問を説く論考が寄せられている。

 

「トランプほどアメリカ人の集合的精神を魅了した人物を我々は知らない。彼の特性(富、権力、有名人としての地位、性急すぎる反応)が多くのアメリカ人の集合的精神と強く共鳴したことは疑いない。」(トーマス・シンガー:バンディ・リー本、p.264) なるほどアメリカ人の集合的精神とトランプは”共鳴”したのか。

 

ではアメリカ人の集合的精神とは何か。無学なワタシには独自の解釈はできないので、バンディ・リー本から引用させていただく。

「猛烈な引力と反発力を持つ強力な磁石のようなトランプとは何者なのか? トランプはアメリカの文化やナルシシズムの最終産物なのか? 絶え間ない刺激と享楽に溺れた無思慮な消費主義の文化の中にいる我々アメリカ人が崇拝する神を人格化したのがトランプなのか? ……クリストファー・ヘッジスは……次のように述べている。”現代は、文章や写真や疑似ドラマによって伝えられる、いわばイメージベースの文化である。そこではスキャンダル、ハリケーン、不慮の死、鉄道事故などが、コンピュータ・スクリーンやテレビで映える。外交、労働組合交渉、複雑な緊急援助政策などは、目に見える刺激的なイメージにならない。映えない。…現実とは複雑なものである。現実とは見た目には退屈なものである。人々にとって、現実の複雑さを扱うのは難しく、扱いたいという気持ちにもなりにくい。……人々は絶え間なく繰り返される言語の牢獄につながれている。テロとの戦争、人命尊重、変革。我々は日々そうした言葉を連続的に供給されている。そしてこうした単純化された言葉の嵐の中で、あらゆる複雑な思考や曖昧さや自己批判は消滅する。”」

 

「有名人崇拝の文化は我々から道徳を奪う。見た目や有用性や物事を成功させる能力にしか価値を認めなくなる。…名声と富が得られれば、それを得たということ自体が正義になる。それ自体が道徳的ということになる。」(トーマス・シンガー:バンディ・リー本、p.266~)

シンガー氏はアメリカで著名なユング精神分析医である。

 

アメリカの集団的「自己」(集団的スピリット)は、300年以上にわたる進歩、成功、成果、富、創意工夫の上に構築されている。そこにはほとんど無限の機会と幸運も伴っていた。…アメリカ人の集団的精神は、不確実な未来を前にして深刻な自己不信感に襲われている。トランプという人間の誇大妄想、傲慢は、そんなアメリカ人の集団精神を代償する解毒剤になっている可能性が非常に高い。栄光の過去を懐かしむアメリカ人の集団精神は、「私の国を取り戻したい」という言葉に端的に示されている。」(トーマス・シンガー:バンディ・リー本、p.270~) 

 

アメリカ人は昨今自信を失いつつある、自己不信に襲われているわけだ。あのAmerican Dreamの底にあったのは、誰でもがサクセスストーリーの主役になれるのだという希望だった。しかし何もかもグローバル経済の中で動いているから、自ずからアメリカだけの簡単なサクセスストーリーが描けなくなってきている。歴史的主要産業であった鉄鋼もダメ、車もダメ、もはやPAN-AMERICANのプライドは傷つきっぱなし。

ヨーロッパは時代を予見してEUという大きな極となり、中国の台頭は目覚ましく、アジア諸国の発展は目を見張るものがある。こうした国々はこぞってアメリカの脅威になってきた。軍産国家としては軍備に関わる戦闘機戦車ミサイル兵器砲弾を大量に売り捌く必要があったにも関わらず、ホイホイと買ってくれたのはアホな日本の内閣総理大臣くらい。仕方ない、狭い地球じゃ商売にならないから、宇宙基地でも作ろうかと、本気でトランプや取り巻きは考えている。

アメリカは既に世界に冠たる経済大国の極でなくなりつつある。これは歴史の必然であったのだが、アメリカ人の精神は相変わらずPAN-AMERICANのプライドという夢を追っていた。田舎のダサい街を一人で飛び出してニューヨークに行く。そこには精励恪勤すればあらゆるチャンスが巡ってきた…それがアメリカではとっくに喪われていたのにもかかわらず。でも、でも、何か私の夢を叶えてくれる何かがあるんじゃないか、しかしクリントンの時代もオバマの時代にも何も与えてはくれなかった。そこにトランプが華々しくデビュー、一度あの男に任せてはどうか、何かやってくれるんじゃないか……というわけで、その鬱積したアメリカ人の精神は解毒されたのかもしれない、シンガー氏はそう分析しているのだ。アメリカ(人)の集団的精神がトランプを大統領に選出する底流にあったというわけだ。 (トランプの項まだ続くよ!)

忠実な身内から”神の声”が…

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トランプは他人を信用しない。だから大統領周辺の要職を親族や忠実な番犬のようなイエスマンで固めている。娘婿クシュナ―(熱心なユダヤ教徒)もそのひとりだ。以下ワタシの想像物語。

 

クシュナ―とトランプとの会話。

”お義父さん、聖書にはこう書いてありますよ。自信をもって今まで通り堂々と安心して行動なさい。お義父さんあなたはアメリカ人から選ばれた唯一人の大統領なのです、神から選ばれた王なのですから”とクシュナ―は語り、聖書の次の部分を語る。

「悪しき者はわたしのためにわなを設けました。」(詩篇119:110)、「わたしをしえたげる者が悪いたくらみをもって近づいています。」(詩篇119:150)。

彼らがここで確かめている「悪しき者」「しえたげる者」とは、トランプに従わない者たち全てを指している。だからトランプは自信をもって”ツイッターで”核心に触れる重要な政策や人事や指示を出すのだ。

 

さらに娘婿は聖書も本を読まないトランプに聖書の次の部分を語る。

「わたしは朝早く起きて呼ばわります。わたしはみ言葉によって望みを抱くのです。」(詩篇119:147)

だから早朝であろうが夜中であろうが、トランプはツィッターの速射砲を乱射し続ける。

 

クシュナ―は熱心な正統派ユダヤ教徒として知られるが、先述のバンディ・リー本の中には次のような寄稿もある。

「多くのアメリカ人は、誰に投票するかを何か一つのテーマによって決める。…私の家族の場合、そのテーマはイスラエルである。私の家族が信仰してきた現代正統派ユダヤ教は、トランプ大統領の支持にまわった。」(スティーブ・ルブル:バンディ・リー本、p.251) 

なるほどユダヤ教徒イスラエルか。

 

アメリカの大統領にドナルド・トランプが選出されて、毎日のように海外ニュースで獣のような彼の風采とダミ声に晒されているが、驚くにはあたらない。少なくとも三千年も前にもこう記されている。

「彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。それゆえ高慢は彼らの首飾りとなり、暴力は衣のように彼らをおおっている。彼らは肥え太って、その目はとびいで、その心は愚かな思いに満ちあふれている。彼らはあざけり、悪意をもって語り、高ぶって、しえたげを語る。彼らはその口を天にさからって置き、その舌は地をあるきまわる。それゆえ民は心を変えて彼らをほめたたえ、彼らのうちにあやまちを認めない。」(聖書詩篇第73篇:4-10)

 

この詩篇はまるでトランプについての最近の論評のようでもある。だから聖書はすごいのだ!  (この項まだ続くよ!)