KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

老者自立す!  

f:id:KANZO-KUN:20200721203235j:plain

ワタシの母は亡くなる前年白寿のお祝いの賞状と記念品を県知事からもらった。でもこのような行事がいつまで続くのだろうか、それほど遠くはない時期に廃止されるだろうか、いや行政は一応「長寿はめでたい」のフリをしていなくてはならないから廃止されないだろう。問題は心込めての有無だろうが、もともとそんな思想は無い。だから余計に家のゴミになるような盃や花瓶のようなものはワタシはいらない。

ワタシはタイの高名な坊さんに占ってもらったときに「アンタは90歳以上まで生きる」と言われた。仮に95歳とすればワタシはあと20年も生きなければならないのだ(!)。勘弁してくれと言いたいが全て成り行きだ。なるようにしかならない。その頃には老者はどのように生活しているのだろうか。長寿は人間の夢であり希望ではあった。しかしながら”長寿社会”を「達成」した今現在、老者は既に「社会」のお荷物になってきている気配が濃厚だ。

『蕨野行』(村田喜代子:文春文庫、1998)は棄老の話である。高齢(小説では60歳)になると全ての老者は家族の住む村落から遠く離れた山奥の地に放逐される。老者たちは食料がなくなると元の名を捨てて村に入り食料の施しを受ける掟があり、雪が深くなり村に降りる体力も無くなると老者には死が待つ―そんな口減らし話である。

蕨野の掟では畑を耕し収穫することや鳥や獣の肉を食することはご法度なのだ。ところがこの度蕨野に入った8人の老者たちはそうはいかないと禁を破り、老者たちの自活生活を始めるのだ。小説はその生活の悲喜こもごもが描かれる。作品は単なる虚構ではなく東北地方に伝わっている歴史実話をモチーフにしたらしい。この作品を恩地日出夫が映画にした。市原悦子の名演技が心に残る。

この作品が興味深いのは、「老い」を健康で元気闊達な人間によって構成される社会の目から老者たちを「どうしようか」と考えたのではなく、「老い」を受容した老者たちが自ら「どのような生活をしていけばいいか」を考えた境地から描いている点だ。

古からの因習や掟や社会規範に対して老者たちは反抗し自らの生を大切にしようとして行動を起こす。老者たちは体力の持ち合わせはないが、反抗に見合うだけの智慧と人間に対する慈愛の心を持ち合わせていた。(この項・つづく)

「美しく老いる」なんてくそくらえ! ‥シャバよサラバ!

f:id:KANZO-KUN:20200719200245j:plain

娑婆は邪悪と狡猾と猜疑と妬みに満ちている。喧噪と猥雑そのままだし何が正で何が邪かも皆目判然としなくなってきた。ニッポン国アベスガアソウらの漕いでいる泥船政権では、邪を正と言い続け嘘にウソを重ねて幾年月、邪も正であると言い続け暗愚の殿の取り巻きがそうだそうだと諂(へつら)い続ければ、いずれ邪は正となっていく。暗愚の殿が「鹿」を「馬」と間違えたところ、下僕はその直後から「鹿」を「馬」と呼べとのお触れを出した。アベ政権は「言葉」を変えれば「実体」が変わると信じる下僕で構成されている。今や「鹿」は「馬」と称される。そして今日日ニッポンは事実そうなりつつある。アベになってからこのような珍奇が繰り返されている。「意味論semantics」学習の格好の材料だ。

「私や妻が学校の土地取引に関与していたことが明らかになれば私は総理大臣をやめます」とアベ首相は国会の場で言い放った。これは全くの「嘘」だった。しかしアベ夫妻が土地取引に関与したことは客観的な事実であったため、これに関係した部局では、アベ首相に「忖度」して、この発言の直後からアベと夫人が関与した事実を記録した全ての書類の改ざんが、財務省財務局長佐川からの指示で近畿財務局で開始された。土地取引と書類作成に係った財務局職員は直ちに配転され、一人赤木俊夫さんだけが取り残された。赤木さんは財務省本省の指示に抵抗し、真実を曲げることはできないと主張したものの結局は改ざんの当事者となった。赤木さんは後に自死した。

もはや以下は自明の事柄である。即ち近畿財務局赤木さんの自死は、監察医上野正彦氏の見方によれば《他殺》である。《特定の人間たち》が彼を《殺した》のだ。アソウが再調査不要とは笑止!アベ及び夫人はじめ政権幹部、官邸や官僚の輩は安眠できるのか!「やましさ」を感じないのか!「社会正義」をも殺すのか!邪を正としてはならない。邪は邪である。赤木さんを《殺した》輩たちの罪は深い。

“正義の味方”であるはずの国家の司法機関である検察も、政権に媚び政権の利得のために尽すことが伝統となり果てた。”犯罪”を犯した国会議員を庇護して正邪も有耶無耶にし、性犯罪者のジャーナリストの逮捕状を握りつぶし、政権に訴求する事案を全て隠蔽しているニッポン国司法機関検察庁‥何のことはない、アベ政権の傷口をなめて検察は働き、論功行賞を待つ組織となり果てた。誰が見たって検察もウソの万華鏡。

国会議論も空虚にして白け陰隠滅滅の様相、アベは訴求されるのが恐ろしく国会にも出席できない日々が続く。国会は議会制民主主義の柱を失おうとしている。

何が民主主義だ、何が三権分立だ、そんなものニッポン国には既に存在していない。しかし、しかし、これらニッポン国宰相以下”民主主義のルールに則って”彼らを選択したのは誰なのか‥結論は結局のところ此処にたどり着く。

 

輿論は神の声なりと意(おも)ふは非なり、神の声は常に輿論に反対す、昔時の予言者は皆悉く輿論の反抗者なりき」と内村鑑三翁は記す。

TV新聞は正邪を「世論調査」の結果で判定しているらしい。しかし通信新聞TV企業の「世論調査」はいかがわしく滑稽でもある。「あなたはアベ政権を支持しますか?」と電話で新聞社から問われて「支持しません」と回答した途端に電話が一方的に切られた、という話を知人から聞いたことがある。こうした「操作」をして誰が利得を得るのか?政権政党か?いや違う。大手広告企業である。だから作られた「世論」がニッポン国を人間社会を滅びの方向に導いているとワタシは断じる。

鑑三翁が「神は世論に反対している」と記しているのは大きな理由があるわけだ。世論という「虚」。今日日これが娑婆の現実である。くだらない。

 

認知症の人は社会の中で専門家や行政官やその他の関係者からスティグマを押されて「出口」のない世界に孤立しているかのようではある。しかし認知症の人は「人間の実存」「人間のもっとも根源的な世界」に一番近いところに居住しているからご康心いただきたい。操作された「世論」に嬉々として依存し、国の機関でウソをつき続け白を黒と言い含め続けるような輩とは違って正直に「生きる」人たちなのだから。邪悪と狡猾と猜疑と妬みに満ちている娑婆のことなぞ何が起ころうと知るものか!

《…「普通の人」「健康な人」は、ただ生きること(‥‥)がむずかしい人たちです。「あなた」ならできます。「普通の人」ができなくて「あなた」にできる。一寸愉快ですね。それは「豊かな国日本」のあり方に対する最高の警告―挑戦なのかもしれません。「あなた」はもしかしたら豊かさにうかれているこの国の人々の「救い主」かもしれません。だからしっかりと立っていて下さい。「あなた」の「存在」自体が、何かへの「怒り」です。「美しく老いる」なんてくそくらえ! この「志しを忘れた国日本」の生証人として、「あなた」は何もせず、ただ生き続ければよいのです。それがすべてです。私もやがて「あなた」の後を追います。浜田晋 見知らぬ「あなた」へ》(浜田晋:老いを生きる意味.p.222、岩波書店、1990)

認知症の人は「志しを忘れた国日本」の生証人なのですぞ、世のニッポン人よ!控えおれ!

《老い》楽な暮らしを皆で考えよう

f:id:KANZO-KUN:20200715210733j:plain

浜田晋先生の著書から私の心に残った文章を抜き書きする(出典は先述の書/浜田晋:老いを生きる意味.岩波書店、1990)。

優れた医師は患者との往還の中で確かめ得た事象を、簡潔で含蓄のある文章として成すものだ。それらは時には諧謔を盛り時には濃い哀惜の情を表現する。 

※「サルトルは言った。「老いとは他者の侵入である。」」 (p.17)

※「…だが、ふと私の大先輩の故江副勉先生(もと松沢病院長)から「脳波なんて雑巾からだって出る」といわれた言葉を思い出し、気をもちなおした。以来、私は「私程度の脳波異常のある人」に対しては「大した異常はありませんよ」と言うことにしている。だがMRIの検査など受けようと思わない。なんとなく悪い予感がするからである。人は「知る権利」とともに「知らされない権利」もある―のではなかろうか。」(p.25)

※「十数年前、私は「うつ病」を患った(東大闘争の後のことである)。その時致死量の薬をもって誰にも告げず、信州の山に入った。あてもなく―今にして思えば小諸から上る高峰高原あたりであろうか―山を歩いた。なぜかそこでまた全山立枯れの風景に出合う。そこで何時間を過ごしたかわからない。しかし死ねもせず下山した。山の霊気にうたれたのであろうか。私は今でも老いを思う時、なぜか立枯れの山のイメージが浮かぶ。」(p.55)

※「ユーゴ―は言う。年をとると人は神話の座を降りて勉強机へと移る。…さらば!誇り高き躍動、反抗の飛翔よ…それはもはや終ったのだ、今は詩神の国(へリコン)の一市民となって 深淵のふちに露台つきの小屋を借りる。」(p.65)

※「孔子が、幼なじみの怠け者の老人に向かって「死にそこない!」(老而不死)と罵ったという。そのままあの中国の支配層の老人たちへかえそう。」(p.82)

※「…「病んだことのない人を友にするな」という言葉がある。痛みと怒りのない言葉を私は信じない。」(p.114)

※「それが見えない人は、盲者(「眼のみえない人」とはちがう。いわば「精神的盲」)であろう。見れども見えず。それが本当の「病人」である。」(p.114)

※「…「ただ歩こう」。なにかのために、健康のためや稼ぎのために歩くのではない。幸福を求めて歩くのではない。歩き迷い、平凡に生き、死ねればそれでよい。中年になったら時にはそんなことも考えてみよう。いまさら幸せを求めまい。」(p.135)

※「どこにも天国は存在しない。地獄からの出発であることを覚悟しよう。その中で一歩でも「楽な暮し」を皆で考えよう。」(p.185)

※「ひどい病院に入院させられ絶望していたが、一人の看護婦さんに支えられ、希望を捨てず、退院した老人を知っている。どこにもきちんとした人はいるものである。そんな人に出合えるかどうか、人生とはそんなものであろう。」(p.204)

※「「普通の人」「健康な人」は、ただ生きること(中略)がむずかしい人たちです。「あなた」ならできます。」(p.222)

あなたはどなた様ですか?   

f:id:KANZO-KUN:20200713165737j:plain

岸川雄介医師が記すように、認知症の患者は‥道に迷ってしまい、それでも目的地にたどり着こうとし、探している人に会おう、今いる場所がどんな場所かつかみ取ろうと、それぞれの目的を果たすべく懸命に行動しているのだ。だから認知症の患者はその人ならではの・その時々の・患者の心の動きがある、という現実を推し量らなければならないのだ。家族や介護する人の想像力と技量が問われていることになる。

認知症の患者は確かに周囲の家族や関係者を困惑させる。どう対処していいかわからない。ワタシの義母の場合、症状をこのように考えてあげるべきだったのだろう。

「便をこねる」=こんな粗相をしてしまってどうしよう、どこに隠そうか困ったな。

「徘徊する」=お祖父ちゃんはどこに行ったのかしら最近見かけないな‥孫の〇〇クンは最近来ないけれど近くに来ているんじゃないか探しに行こう‥最近お墓参りに行っていないからお花を買ってから行かなくちゃ。

「あなたはどなた様ですか」=どことなく知っているような・知らないような人だけれど思い出せないな・名前も出てこないな・でもどうして私にこのように親切にしてくれるのだろう。

保健師として長年活動してきた義母は、自分では如何ともしがたい不条理な症状の出現と、同じ所をグルグル回っているのにこれを処理することのできない自らの不甲斐なさに、きっと一人涙を流していたに違いないのだ。義母はそのような世界に今留まっていることをワタシが「わかってあげる」べきだったのだろう。

義母の認知症の症状は不思議なことに一過性だった。しかし義母は昔から東京での生活を嫌い、かといって山形での同居も困難だったワタシと妻は、ショートステイを頼んでいた施設に義母の全ての生活を託さざるを得なかった。

「おとうさん(義母は昔からワタシをそう呼んでいた)、私はそろそろ施設に入った方がいいかね—‥」と、あるとき義母は弱弱しい声でワタシに言った。ワタシは胸が詰まって何も答えられなかった。義母が哀れだった。

当時ワタシが義母の心の世界を「わかってあげる」ことができただろうか、答えは「否」だ。今でも胸が痛む。

認知症の症状群8つ

f:id:KANZO-KUN:20200712173507j:plain

認知症の専門医・岸川雄介医師(現在安曇野ななき診療所院長)は、脳の機能低下と関連する認知症の症状群として次の8つをあげている。認知症に関してこのように簡明に整理された文献をワタシは見たことがない。岸川医師の長い診療経験と医哲学に裏付けられているからだろう。

(1)間違いに気づかない(自覚の障がい)、(2)注意力の低下・軽い意識混濁、(3)知覚機能の低下(嗅覚、味覚、触覚、痛覚、温度覚等)、(4)記憶力障がい(予定、道順、出来事、作業、手続き、感情、生活の流れ等)、(5)道具を使うことの障がい、(6)遂行機能障がい(目的の作業をやり遂げられない)、(7)言語機能障がい(言葉を話す、聞いて理解する)、(8)睡眠障がい―以上の8つである(要約)。(篠崎英夫:精神保健学序説.第4章認知症患者への総合的アプローチ、pp.162-82)

岸川医師は、認知症研究と臨床診療のためにアメリカに留学し、帰国後認知症専門医として多くの患者の診療にあたってきた医師。彼は多くの認知症患者の診療経験から次のように記す。「…あてもなく徘徊しているアルツハイマー病の方を私は診たことがありません。いくら脳の機能が低下しても、人間はそんな単純なものではない。道に迷ってしまい、それでも目的地にたどり着こうとし、探している人に会おう、今いる場所がどんな場所かつかみ取ろうと、それぞれの目的を果たすべく懸命に行動しているのです。」(篠崎英夫:前掲書、p.150)

ワタシはこの一文を読んで胸が詰まった。ワタシの義母のことを思い起こしたからだ。義母は白寿直前に天寿を全うできたのだが、保健師を定年退官した後に父(義父)が亡くなり、山形市の家で一人暮らしをしていた際の一時期に認知症の症状が出たことがあった。東京からかけつけたワタシと妻にショートステイを頼んだ施設の看護師さんからの説明は次のようなものだった。「時々徘徊をする」「時々入浴時に便をもらし便こねをする」「時々職員に向かって、あなたはだれですか、と言う」。ところが不思議なことにこれらの症状は半年ほどで消えていった。なぜ認知症の症状が一過性のものであったのか、施設の医療者たちも不思議がっていた。

そんな義母に対して、ワタシや妻はどのように接していいのか戸惑うばかりだったが、おそらくショートステイの職員の人たちが適切な対応をとり症状も軽快していったのではないかと思う。よき介護職員に出会えること、愛情の豊かな家族に恵まれること…これらが認知症患者の日常を左右することは間違いない。

人は生きたように老い死ぬる‥ワタシはギクッとしつつこれからもっと家族を大事にしなければなぁ、と思いつつ、既に時遅しとも思う昨今。

認知症‥スティグマによる疎外

f:id:KANZO-KUN:20200711184657j:plain

「私は精神科医になってからずっと「分裂病(注:現在では統合失調症)を追い続けてきた。それは「社会への入口」の病いである。社会に参加しようとして参加できず、やがて「病い」へと追い込まれる。「老いの病い」は、社会からの出口の病いである。そしてこの両者はともに社会から排除されて棄てられてゆく過程がおどろくほどよく似ている。いつしか私の中でこの二つは一つになっていた。」(浜田晋:前掲書、p.11)

浜田医師は統合失調症の患者と認知症の患者が、社会から排除され捨てられていく過程が似ていると指摘している。つまりこれらの病気をわずらっている患者に対するスティグマの拡散と固定化のプロセスが同じ軌跡をたどっていると言うのだ。

スティグマ」とは、言葉本来の意味は「聖痕」といってイエス・キリスト磔刑となった際についたとされる傷のこと。カトリックでは奇跡の顕現とみなされている。日本語では「烙印」と訳されている。身体や精神等の障がいによって「スティグマ」を押される結果、社会的な参加が拒否されたり疎外されたりする事象を指す。この「スティグマ」は実は専門家や行政官やその関係者によって”固定化”されて一般の人に拡散していくことが、P.スピッカーやG.クロセティなどの著作によって指摘されてきた。言い方を変えれば「スティグマ」は忍び足で作られて行き、その後人間の意識に接着剤の如くガッチリ固定化され定着していくわけだ。

先述の篠崎英夫医師は、そのような私たちの心の裡なるスティグマや制度的なスティグマが固定化していくことに警鐘を鳴らし、「認知症」患者に対してもこのようなスティグマが固定化していく気配を感じていると指摘する(篠崎英夫:前掲書、p.193)

二人の医師の指摘は、共にワタシの中で共鳴し合っている。そして浜田医師も篠崎医師も、これからの社会の中でも、精神障がい者認知症患者に対するスティグマや偏見がなくなるという”甘い期待”は抱いていないのではないか。ワタシはそう思う。

「世界は果して進歩しつつある乎(か)」とは明治大正昭和の言論人基督者内村鑑三翁の言葉だ。鑑三翁は人類社会の進歩などというものは実は無いのだ、と断じる。今日日どこの国であれ政治家や自由主義経済人たちは、人間社会の"進歩発展"は永遠に続くことを自明の理のごとくに喧伝する。富の寡占を競い、速さを狂気のごとく追い、ビルの高さをオレがオレがと争い、IT社会の効率を果てしなく追いかけている。しかしながら彼らの喧伝する”進歩発展”は、所詮人間の”欲望”を加速させ、”強欲”と”傲慢”とを増幅させているだけではないか。人間社会の名目上の”進歩発展”が加速することと"反比例"しながら、良質の人間性の柔らかい部分は次第に痩せこけて貧相になり、スティグマや偏見が現代社会ではどんどん増幅している事実を見よ。これは認知症患者が社会から排除され捨てられていく過程でもある。今の日本を観察すればよくわかることだ。

 

認知症は初体験のことばかり‥

f:id:KANZO-KUN:20200709164443j:plain

「日本の認知症患者の割合(有病率)はOECD(経済協力開発機構)加盟35か国の中で最も高く、日本の人口に対する認知症有病率は2.33%で、OECD平均(1.48%)を大きく上回り最も高かった。2位はイタリアの2.25%、3位はドイツの2.02%。日本の有病率は20年後にはさらに上昇し、3.8%に達すると推定されている。」との最近の報告を読んだ。まあ驚くこともなかった。

一方患者数の予測で言えば、2012年で460万人だったものが、2025年には700万人と予測していて、これは65歳以上高齢者の5人に一人ということになる(但し異論あり。この数字は医療機関受診患者数であって潜在的患者及び認知症患者予備軍を数えたらこの2倍と言われている)。驚くべき数字で一体このままいけばどうなってしまうのだろう。認知症に決定的に効果を示す薬物の開発は今のところかなり困難らしいのだ。もっとも認知症治療薬が仮に開発されたとしても、歴史上かつてない図抜けた高齢社会の多岐にわたる問題群は残る。

『精神保健学 序説』(篠崎英夫、へるす出版、2017)の中で、日本政府のWHO執行理事でもあった著者は、2012年にWHO(世界保健機関)から出版された刊行物に触れている(日本語版『認知症;公衆衛生対策上の優先課題』、公衆衛生協会、2015)。篠崎氏は、この報告書に触れて、認知症対策を”独立した”施策・計画として策定するか、複数の保健・メンタルヘルス・高齢社会の政策や計画として”統合”すべきであると記している(p.153)。国の政策立案に際してかなり大胆な発想転換を促していると言える。

またWHOはこの本の中で、認知症を自然な老化現象ではなく「さまざまな脳の障害が原因となって生じる慢性または進行性の症候群で、記憶・思考・行動・日常生活に影響が及ぶ疾患」としている。そして認知症に関する行動指針として「認知症に優しい社会を促す・認知症を公衆衛生及び社会的ケアの優先課題とする・一般社会及び専門家の認知症に対する態度や理解を改善する・保健社会システムに資金提供して介護やサービスを改善する」といった点を強調している。

とりわけワタシたち自身及び専門家の態度や理解を促す、といった点は身につまされる。ワタシ自身も間違いなく認知症予備軍…と自覚しているので、他人事ではない、みなさん同様ですぞ! 認知症患者に優しい社会‥の実現とは——それを理念なき行き当たりばったりの日本の政治屋たちに任せていてはダメなことは明々白々。