KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

あなたはどなた様ですか?   

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岸川雄介医師が記すように、認知症の患者は‥道に迷ってしまい、それでも目的地にたどり着こうとし、探している人に会おう、今いる場所がどんな場所かつかみ取ろうと、それぞれの目的を果たすべく懸命に行動しているのだ。だから認知症の患者はその人ならではの・その時々の・患者の心の動きがある、という現実を推し量らなければならないのだ。家族や介護する人の想像力と技量が問われていることになる。

認知症の患者は確かに周囲の家族や関係者を困惑させる。どう対処していいかわからない。ワタシの義母の場合、症状をこのように考えてあげるべきだったのだろう。

「便をこねる」=こんな粗相をしてしまってどうしよう、どこに隠そうか困ったな。

「徘徊する」=お祖父ちゃんはどこに行ったのかしら最近見かけないな‥孫の〇〇クンは最近来ないけれど近くに来ているんじゃないか探しに行こう‥最近お墓参りに行っていないからお花を買ってから行かなくちゃ。

「あなたはどなた様ですか」=どことなく知っているような・知らないような人だけれど思い出せないな・名前も出てこないな・でもどうして私にこのように親切にしてくれるのだろう。

保健師として長年活動してきた義母は、自分では如何ともしがたい不条理な症状の出現と、同じ所をグルグル回っているのにこれを処理することのできない自らの不甲斐なさに、きっと一人涙を流していたに違いないのだ。義母はそのような世界に今留まっていることをワタシが「わかってあげる」べきだったのだろう。

義母の認知症の症状は不思議なことに一過性だった。しかし義母は昔から東京での生活を嫌い、かといって山形での同居も困難だったワタシと妻は、ショートステイを頼んでいた施設に義母の全ての生活を託さざるを得なかった。

「おとうさん(義母は昔からワタシをそう呼んでいた)、私はそろそろ施設に入った方がいいかね—‥」と、あるとき義母は弱弱しい声でワタシに言った。ワタシは胸が詰まって何も答えられなかった。義母が哀れだった。

当時ワタシが義母の心の世界を「わかってあげる」ことができただろうか、答えは「否」だ。今でも胸が痛む。