KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

《老い》楽な暮らしを皆で考えよう

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浜田晋先生の著書から私の心に残った文章を抜き書きする(出典は先述の書/浜田晋:老いを生きる意味.岩波書店、1990)。

優れた医師は患者との往還の中で確かめ得た事象を、簡潔で含蓄のある文章として成すものだ。それらは時には諧謔を盛り時には濃い哀惜の情を表現する。 

※「サルトルは言った。「老いとは他者の侵入である。」」 (p.17)

※「…だが、ふと私の大先輩の故江副勉先生(もと松沢病院長)から「脳波なんて雑巾からだって出る」といわれた言葉を思い出し、気をもちなおした。以来、私は「私程度の脳波異常のある人」に対しては「大した異常はありませんよ」と言うことにしている。だがMRIの検査など受けようと思わない。なんとなく悪い予感がするからである。人は「知る権利」とともに「知らされない権利」もある―のではなかろうか。」(p.25)

※「十数年前、私は「うつ病」を患った(東大闘争の後のことである)。その時致死量の薬をもって誰にも告げず、信州の山に入った。あてもなく―今にして思えば小諸から上る高峰高原あたりであろうか―山を歩いた。なぜかそこでまた全山立枯れの風景に出合う。そこで何時間を過ごしたかわからない。しかし死ねもせず下山した。山の霊気にうたれたのであろうか。私は今でも老いを思う時、なぜか立枯れの山のイメージが浮かぶ。」(p.55)

※「ユーゴ―は言う。年をとると人は神話の座を降りて勉強机へと移る。…さらば!誇り高き躍動、反抗の飛翔よ…それはもはや終ったのだ、今は詩神の国(へリコン)の一市民となって 深淵のふちに露台つきの小屋を借りる。」(p.65)

※「孔子が、幼なじみの怠け者の老人に向かって「死にそこない!」(老而不死)と罵ったという。そのままあの中国の支配層の老人たちへかえそう。」(p.82)

※「…「病んだことのない人を友にするな」という言葉がある。痛みと怒りのない言葉を私は信じない。」(p.114)

※「それが見えない人は、盲者(「眼のみえない人」とはちがう。いわば「精神的盲」)であろう。見れども見えず。それが本当の「病人」である。」(p.114)

※「…「ただ歩こう」。なにかのために、健康のためや稼ぎのために歩くのではない。幸福を求めて歩くのではない。歩き迷い、平凡に生き、死ねればそれでよい。中年になったら時にはそんなことも考えてみよう。いまさら幸せを求めまい。」(p.135)

※「どこにも天国は存在しない。地獄からの出発であることを覚悟しよう。その中で一歩でも「楽な暮し」を皆で考えよう。」(p.185)

※「ひどい病院に入院させられ絶望していたが、一人の看護婦さんに支えられ、希望を捨てず、退院した老人を知っている。どこにもきちんとした人はいるものである。そんな人に出合えるかどうか、人生とはそんなものであろう。」(p.204)

※「「普通の人」「健康な人」は、ただ生きること(中略)がむずかしい人たちです。「あなた」ならできます。」(p.222)