KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

「安楽死」を弄ぶな‥

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ALSの患者さんが主治医でもない二人の医師に”安楽死”を依頼して実行した。二人の医師はその後逮捕された。2020年7月のことである。この患者さんはSNSで一人の医師と出遭い、この医師につながるもう一人の医師とタッグを組んで実行したようだ。

過去の判例(名古屋高裁)に「安楽死」許容6要件というものがある。それは①不治の病、②(死苦の)苦痛、③死期が近い、④本人の明示の意思表示(同意)、⑤医師の手による、⑥方法の妥当性―である。

安楽死」には患者、本人の自発的意思(死にたい)に応じて患者を故意に死に至らせる「積極的安楽死」と、患者本人が意思表示不可能な場合は親・子・配偶者などの自発的意思に基づく要求に応じ、延命治療を継続せずまたは治療を中断・終了することにより、結果として死に至らせる「消極的安楽死」がある。親族らの同意のない消極的安楽死は、治療義務のある医師の不作為による殺人罪(刑法第199条)であり、殺人幇助罪・承諾殺人罪(刑法第202条)ではない。刑法では「積極的安楽死」は認められておらず、もしこれを行った場合には殺人罪(第199条)の対象となる。また治療行為中止(尊厳死)の要件について、川崎協同病院の筋弛緩剤事件(東京高裁判決2007年2月)では、「尊厳死」を規定する法律がない中、終末期医療の現場を裁く難しさを示したものとして記憶に残る。これらの判例や裁判所の判断を鑑みたときに今回事案は適切であったかどうか‥。

さらにこの事案を主導した医師がかつてツイッターの投票機能を使って「安楽死」の”対価”を公募したところ、三千件の応募があり具体的には「百万円」の声が多かったという記事を読んで、ワタシは慄然とした。これら回答者には「死」は他人事なのだろう。

この事案が報道されると、維新という政党のM某が「国会で議論しよう」と呼び掛けている。この男は露出好きで自己顕示欲が肥大した人物らしいが、このタイミングで議論を呼び掛けるという所業の裏には、彼はいわゆる「優生思想」の持ち主だとの指摘がtwitterで流れている。もしこのことが事実だとすればM某の政治屋としての下劣な卑しい意図が透けて見える。

ナチスドイツのヒトラー政権下では、「優生思想」のもとにユダヤ人などは人類や国家の進歩にとって妨げとなるとの不条理な理由が付されて法制化・政策化され、数百万人ともいわれる人たちが抹殺された。往時のドイツ国民の多くは賛意を示し政策を支持した、あるいは支持せざるを得なかった。アルコール依存症患者や精神障がい者や寝たきりの衰弱した高齢者たちもガス室などで殺戮された。

しかしこの「優生法」に関しては、多くの欧米諸国によっても採用されていたことを見逃してはならない。しかも1970~80年代にまで医学的にも正当化されて、何らかの形で(強制断種や不妊手術、堕胎など)行われてきた。日本でも旧優生保護法(1948~96年)下で障がい者らに不妊手術が行われてきた事実がある。そしてこの法令下で堕胎や断種を強制された人たちに対する国による謝罪が表明され、補償が行われることになったことは記憶に新しい。この問題は現在進行形である。日本医学連合会では旧法検証のための検討会が持たれ2020年6月に報告書を公表した。報告書では将来に対する提言として、出生前診断やゲノム編集など遺伝子治療の分野で非倫理的な方向に進まないための多方面からの精細な検討が必要だと提言している。

先述のM某は「難しい問題‥」とtwitterで述べているが、彼は大声で叫び注目を惹き目立つことで「オレがこの問題を提起し発議した」と認めさせるだけで目的を達するのだろうが、いやしくも政治に係る人間としては、「安楽死」「尊厳死」「優生法」「法制化」の問題に関しては、胸に手を当てて黙考し、生命倫理の研究者の論文を熟読し、患者や家族の声に耳を傾けてから出直して来いと言いたい。実は既に日本では超党派の「安楽死」法制化のための議連がある。彼らがこうしたタイミングで動き出す気配をワタシは強く感じている。M某は遠回しにこの議連のメッセンジャーとしての役割を担わされているのかもしれない。

人間の死は人生の終わりの「とき」なので一人ひとりの重さがある。この死の重さが計量カップのA、B、C‥‥で計られて分類されて軽々しく安っぽく扱われていくのは、ワタシには耐え難い。(この項つづく)