KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

またそのハナシですか‥   

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またそのハナシですか…老者はなぜ同じことを繰り返し話すのだろう。こう言うワタシもそのうちの一人だと自認している。いつも嫁さんに「また同じ話をして、その話は何度も聞いたわよ」と言われている。実はこのことは気づいてはいるのだが話題が少ないので「また同じ話」をしているときもある。しかし気づかずに何度も話をすることがあることも事実だ。TVは詰まらないのでほとんど見ないが、稀に興味を引く番組があるし息子が制作に関係している番組もあるので時折見ることがある。しばらく見ていて番組の終わりになる頃になって「この番組は以前にみたことがあるな」と気づく。デジャヴの感覚だ。コロナの影響でTV番組も再放送再々放送が多くなっているので気をつけているが、気づかないでまた見る。しかも再放送なのにその都度面白いと感じ感動したり大笑いする。認知症の始まりにこれらの症状が現れると言われている。

著名な一人の医師が亡くなった。あまりオモテには出ない話だが、この医師は病院の会議でも・数多の講演会でも・著書の中でも、診療経験や日常生活経験の同じ話を、何度も何度も繰り返していた。またまたそのハナシですか‥‥知る人ぞ知る。

そりゃ中身はいい話なのだろうけれど、それをどこでもかしこでも繰り返すのはいかがなものか。あるときの彼の講演会で、既に彼の著書を読み講演も聞いていたワタシは、又同じ話を繰り返し話していたので、不愉快になって講演会から帰ったことがある。でも彼の話し方は上手い。いわばTV向きでタレント風だ。ただし話をするご本人は「良い話なのだから何度でも話すべき」と信じて疑っていないからややこしい。著名な人だから周囲も口をつぐむ。

この医師のように老者は「大切で大事な本質的(!)な」事柄を「人間を知らない(若い)人たちに」語って聞かせたいのだ、それが「世のため人のため」になると信じ込んでいる。そのように彼の脳の回路が出来上がってしまっている。講演を聞いた周囲の者たちも「先生のお話とてもよかったです!。録音もさせていただきました。職場に帰ったら周囲の者たちにも聞かせます。もっと広く先生のお話を聞いてほしいですね。」とかなんとか大先生にオベンチャラを言う。(職場の皆に話を伝える約束など講演会の帰りの電車の中ですぐ忘れてしまうのだが。)

だから大先生は”そうか、それならば次の講演会でもまたあの話をしよう”と勇んでしまう。こうして大先生のお話は金太郎飴風となる。大先生は悪い人ではない、好々爺で善人なのだ。

だが同じ話を何度も聞かされる方はたまったものじゃない。ワタシはこの大先生も認知症の初期かなと感じていた。でも周囲の者はそれを言えなかったのだろう。認知症とはそんな病気なのだ。だが他人事ではないから少し哀しい。(この項・おわり)