KANZOに聴け

内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

本来の「人間」に戻るかなしみ   

f:id:KANZO-KUN:20200708213226j:plain

先述の浜田晋医師は1926年高知生、東北大学医学部を卒業して東大医学部精神神経科、都立松沢病院勤務を経て1974年上野に浜田クリニックを開院、町医者に徹して東京下町の上野界隈の地域の人たちの診療にあたってきた(2010年逝去)。

浜田医師がかつて書いた『老いを生きる意味』という本がある。この本はいずれワタシが老者となったときにもう一度読もうと心に決めていた本であり、ワタシはワタシ自身の約束に則りつい先日再読(実は再々々読か!) した。仕事仕事で阿呆で無茶な生活時間を過ごし終えて事業所を解散し清算決了を済ませた今、浜田医師のこの本を読んでみると、以前には気づかなかった箇所や文章が立ち現れてきた。これが読書の醍醐味。例えば次の一文。

『それでも「あなた」は「家へ帰ろう」と言うのですか。」‥もともと人間にとって「家」などなかったのかもしれません。「家族」が幻想であることが、昨今、はっきりしてきました。あの山頭火にとって「家」とは何だったのでしょう。しかし「あなた」は、今「誰か」の介護を求めています。一人では生きられなくなったのです。看護する夫につぶやいたそうですね。「どこのどなた様かは存じませぬが、お世話になります。」と。<耕治人:そうかもしれない.1988> 今、あなたは孤独です。本来の「人間」にもどっただけなのかもしれません。』(浜田晋:老いを生きる意味.p.217、岩波書店、1990)

この箇所は、浜田医師が作家・耕治人のある作品に共感を示しながら記した部分である。名文だ。耕治人の小説を要約紹介する。 

耕治人『そうかもしれない』(講談社、1988)は次のような作品。がんで療養中の「私」のもとに認知症の症状がさらに進んだ妻が見舞いにやってくる。妻は「私」を夫と識別できなくなっている。「この方がご主人ですよ」と付き添いの人が言うと妻は「そうかもしれない」と答える。それを聞いた「私」は言葉を失うと同時に、「私」がかつて精神病院に入院した際にも懸命に生活を支え毎日のように面会に来てくれていた妻のことを思い、それにひきかえ自分は何一つ亭主らしいことをしてこなかったという悔恨の情がわいてくる。妻の認知症を理解してあげられず、ある日料理中の鍋を火にかけたまま忘れる妻の失敗をなじってしまったのだった。「私」はその直後妻が部屋で一人涙を流す姿を見た。結婚以来困難に対して常に「逃げ腰」だった「私」を批難するどころか黙って矢面に立ちつづけた妻に対する尊敬の念と愛がわいてくるのだった―そのような内容の小説である。実体験をもとに私小説風に描かれたこの小説は、自らの妻の認知症を明らかにしその生活を主題にしたことで、当時は大きな話題を呼び映画化もされた。また作家の死後妻はTVのドキュメンタリー番組にも取り上げられた。

 30年以上も前に発表された小説だから知らない人も多いだろう。当時はまだまだ認知症の患者も少なくて目立たず、社会の注目を浴びることも少なかった時代だ。この30年というのはそんな大きな変化の時期だった。浜田医師の診療経験もこの時代に重なる。

浜田医師は自らの診療経験をもとに認知症患者に慈愛の目を注いでいたことがこの一文でわかる。認知症患者を「本来の人間にもどっただけだ」と記す。(つづく)