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内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

後出しじゃんけんは違反だせ!‥仏教政党のぶざま

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宗教家集団・宗教政党を自認する公明党の幹部が、大学入試に記述式方式を導入することを延期すべきだという申し入れを文科大臣に行ったのは2019年12月17日。オイオイ公明党さんよ!後出しじゃんけんは違反だよ!記述式方式の延期はアベ政権の閣議決定とかされて結論はとっくに出ているのに、何をいまさらじゃんけんポイなのだ。

日本の官僚組織に比較して、日本の政治政党に蔓延する「幼児性」は夙に言われているけれども、この公明党の行動はあまりに幼児的な所作である。だから数多の人の「失笑」を買った。政権幹部のヒゲの塵をヘコヘコと払っている姿。この政党はいつも権力や世論に諂う習性が身についている。常にいつでもどこでも「下僕」。宗教の香さえ漂ってこない。

そもそもこの記述式入試問題は、特定の文教族議員と”識者”と言われる者たち、そしてどういうわけか特定企業(ベネッセ)が主導してきた。特定の族議員との利権取引の腐臭が漂う。記述式入試が実施されれば、それは子供たちの総合的な能力を評価することになり望ましい。しかしこの評価の「方法」になるとマークシートを使うことはできず、ましてや大量の受験生を対象に短時間で実施することは困難、つまり”望ましく好ましいが・難しい”というのは、誰でもわかっていたことだ。大御所の”識者ら”が集まってこの検討が始まって何年経過したのか知らないが、結局のところ受験産業界の特定企業に「丸投げ」することで、あとは何とかなるだろうと、いい面さげたオトナたちが喝采して実施の直前まで来たのが事実。ところが受験生らからはこの評価方法は「公平」「公正」を欠いていると指摘されて反対デモまで行われ、現業教師たちや全国の公立学校長たちも「実施への危惧」が表明された。そして結局のところ記述式入試方法は無期限見送りとなった。その際の文科省大臣の釈明の”わかりにくさ”ときたら酷いものだった。いまでも無期限延期の理由がワタシにはわからない。

政治家識者官僚らいいオトナが集まってこのザマである。幼稚である。無責任の極みである。これら当事者たちは恥辱まみれで日の当たる路を昼間歩けないのではないか‥と思っていたら、何のことはない全て他人事のような言い訳だらけの無責任コメントが若干続き、その後は緘黙が続く。これほどの”事件”を有耶無耶にしようとしている、いや有耶無耶にできると信じている。だから彼らは全員恥知らずである。

今の日本と日本人の裸像を見てしまった感がある。75日間をじっと耐え忍ぶ態勢である。大手新聞TV公共放送NHKも国ぐるみとも言える”不祥事”だし、文科省大臣の発表を記者クラブはそのまま記事に流していただけなので、追跡する意志も見られない。そもそも事の本質を分かっちゃいないで報道してきたから。

本題に戻る。恥じらいもなく後出しじゃんけん公明党とは、日蓮宗創価学会会員を基盤とした政党とここでは措定する。この政党の幼児性は今さら指摘するのもアホらしいのだが、創価学会も仏教の一派とすれば、何故こうなるのかを創価学会や仏教者に問いたいのだ。「野合」忍法を党是とする公明党のことだから、後出しじゃんけんは得意技だ。特にヤマグチ代表になってから反道徳、無思想、無定見、倫理離反、頽廃は激しい。日蓮さんの背中が泣いているぜ!ヤマグチさんよ!ホンにあなたは屁(へ)のようだ。 

広島と長崎を老身をおして訪れて核兵器の愚かしさを世界に向けて糾弾したフランシスコ・ローマ教皇の崇高で現実的な理念を打ち出すことができないのか、コロナウイルスの猛威で地球上の国々の人がバタバタと斃れているさ中に、雨中一人バチカンの広場で長い祈りを捧げている教皇のように、何故日本では世俗の人に対する宗教の力・精神の力動が働かないのだろうかとワタシは考えている。ひょっとすると「仏教」そのものや「日本人」そのものに内在するものがあるのだろうか。