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内村鑑三翁が生きていたら何を考え何を語るのだろう…

外交らしきもの―アベ海外旅行

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内村鑑三第一次世界大戦後の戦後処理に関して次のように記している。

「所謂外交とは何ぞ、他国を盗む事のeuphemism(言を美はしくして云ふ事)に過ぎない、一国が他国を盗む事は未だ重き罪悪として認められないのである、露独墺の三国聯合して波蘭(ポーランド)を奪ひしは実に大なる偸盗(ちゅうとう)であった、而して独り彼等三国に限らない、世界各国が同じ罪を犯しつつある…」(内村鑑三全集25、p.285)

「外交」を時代背景抜きに論じても詮無い事柄だ。しかし鑑三翁の言う通り、歴史は外交とは大なる偸盗をなすものであることを示す。外交とは今でも領土の分捕り合戦であり、国の利害に関する損益合戦であり、歴史的桎梏に関わる国家間の厳しい戦いである。国家安全保障national securityと国際安全保障international securityとの輻輳した戦いでもある。詮ずる所「外交」とは厳しい国家間の戦いである。国と国との間の宿痾(しゅくあ)でもある。

アベ首相が嫁さんを連れて海外に言ったのは七十何か国だとかなんとか自慢していると仄聞した。アベさんはこれを「外交」と本心で認識しているから恐ろしい。外国の首脳首長…らと嫁さんと並んで握手する写真はどれほどの枚数になったのだろう。彼が老いぼれて叙勲記念に出版する功績写真集にはどれほどの写真がのるのだろう…彼はそれらの写真のことで実はアタマが一杯なのだ。あと何か国”外国旅行”に行けるだろうかを楽しみにしながら首相の座に居座るのが生き甲斐だ。イギリス・メイ首相はブレグジット問題の混乱で辞任させられたが、アベ首相は靴底みたいに厚顔で”嘘つき二枚舌無恥馬鹿”とまで言われて恥をさらして居座っている。

「おもてなし外交」とか「おもてなしの心をオリンピックで」とか不気味な語彙や仕草が飛び交っている。これらの言葉を使っている連中は、本当に本心から「おもてなし」のことを考えてこのように表現しているのだろうか。ところがどうもアベ首相らは本心から考えている気配だから、余計に不気味だ。怪奇だ。

アベ首相の「おもてなし外交」なるものは虚である。領土問題、拉致問題、関税に伴う損益など滅多やたらに動いて「やってますやってます」だけで、思慮深さはまるでない。”前提なしに”北朝鮮に行くとアベ首相は公言したが、実は真っ当な外交交渉ができないからこのように言っているだけで、又ODAの手土産でも持っていけば”何とかなるさ”程度の認識しかない。”誠心誠意をもって誠実に行く"とアベ首相が言うのに返事もなく会おうとしないのは、「北朝鮮が誠実ではないからだ」と言い訳ができるし、仮に金と会えても拉致問題に何も進展がなければ、「北朝鮮が誠実ではないからだ」とこれまた言い逃れできる――このシナリオは完成されていて、何もかも目前の「選挙対策」。これが「おもてなし」外交の真髄だ。甘ちゃん、である。

「誠心誠意をもって誠実に」「やってます・やってます」の無為無策の空手形、あれも・これも・それも・何の成果もなく、この国の損益を最悪にして、道徳的にも頽廃の相を示している政治(家)とは何なのか。またこれに騙され・諂(へつら)う日本人も同罪。何とかしなければ!

そもそも日本のODA予算の考え方は、日本の安全保障を担保する目的もあって、日本人の専門家を開発途上国に派遣して現地の人たちと地域開発事業を推進したり、外国の専門家を招聘して教育したり、開発途上国のインフラ整備も現地ニーズを的確に評価して実施されてきた。このような技術協力を含めた日本の外交政策の方法は、海外からの高い評価を得て推移してきたことは間違いない。このことは費用対効果の点でもノーベル賞モノと言う人たちもいる。このことは政情不安や不衛生や不十分な環境の下で働いてきた専門家たちが最も実感しているところだ。

こうしたJICAなどが実施してきたODA予算は、わけもわからないうちに内閣総理大臣のへつらいとアベ個人の人気取りに無闇に利用されて、外国旅行に行くたびに「手土産」扱いされている。この現実に怒りを隠さない関係者も実に多い。そして「手土産」にされてしまった結果、日本のODAは、一帯一路の壮大な野望に裏付けされた中国の乱暴な錢撒きODAと同質のものとなりつつある。手間がかからず見栄えがいいからだ。無償有償借款を問わない。

人間の人間によるソフト開発に特質のあった日本の外交政策の要としてのODA予算は削減される一方で、ODA現場では萎縮が始まっている。”あとはなんとでもなれ”アナーキー外交の現実であり”外交らしき”空虚である。